[創商見聞] No.65 小林 美幸 (屋台らぁめん小林)小林 礼治(新秀)

 「創商見聞 クロスロード」の第65弾は、12日に塩尻市宗賀に移転オープンした「屋台らぁめん小林」の代表小林美幸さんと、夫でラーメン店に協力しながら農業や食品卸業を営む(株)新秀の専務取締役、礼治さんに話を聞いた。

長く愛されるお店に

【こばやし・みゆき】40歳。塩尻市洗馬生まれ。東横女子短期大学言語コミュニケーション学科中退。スナックを経営しながら2005年結婚。2児の母。15年1月から同店代表。
【こばやし・れいじ】40歳。安曇野市穂高生まれ。南安曇農業高土木科卒。トラックトレーラー運転手で働いた後、屋台らぁめん小林を創業。2017年、(株)新秀を創業し、取締役専務に就任。

屋台らぁめん小林

塩尻市宗賀73-346 ☎0263・88・7862

―ビビッときて結婚(礼治さん)
 トラックトレーラーの運転手を10年くらいやっていました。松本市内のスナックを経営していた彼女(美幸さん)に出会い、「ビビッ」と電流が走って、プロポーズしました。
 自分で決めた運転技術の目標などを達成できたため、2013年にトラックを降り、創業を考えました。トレーラーの仕事で全国を回り、いろいろなお店で食事をする中、関心を持ったのは飲食店の経営です。
 個人的に、良い店とは「飽きがこない店」、また「飽きがきても食べられるお店」ではないかと思っています。流行に飛びつかず、長く、「ずっと食べられるお店」を作りたいと考えました。
 自分で食べて見つけた、富士見町の「信濃坂」というお店で研修させてもらいました。中華そばが看板の、いわゆる「街のご飯屋さん」です。中華そばのスープは鶏ガラベースの醤油味。他のメニューもおいしく、何度でも通えるすてきなお店です。  
 出店予定もあったので、半年間になった研修は「見て覚えろ」でした。オーナーの経験から、2~3年の修業は「体験」させる方が良いようですが、短期研修は「観察」を基本的にさせた方がうまくいく、とのことでした。言われた通り必死に「観察」し、ノートに書いて覚えていきました。
 14年7月、塩尻市大門に、屋台をイメージしたカウンター席メインの「屋台らぁめん小林」を開きました。
 研修を受けていても、素人同然、オープンの時、初めてラーメンを作ったようなものです。味もバラつき、1年くらいはひどかったです。店内オペレーションも水準に達してはいなかったと思います。当時のお客さまには、おわびしたいくらいです。
―夜の世界からラーメンの世界へ(美幸さん)
 2人目の子どもを妊娠したとき、ラーメン屋の話が出始めました。ちょうどスナックを5年ほど経営していた時期です。経営面では、良い結果が出ていましたが、家族や体力を考えると、継続は難しい。でも、自営業はやりたかったので、「じゃ、一緒にやろうか」という感じで、スナックの経営からラーメン屋に方針転換しました。
 最初は、子育てがしっかりできなかったことで、毎日夫とけんかです。一日の大半は、両親に子どもを預け、会えません。今から思えば「産後鬱」だったかもしれません。乳飲み子に寂しい思いをさせたことや、支えてくれた両親には、、深謝しています。


―ラーメン店から農業へ(礼治さん)
 夢を持って店を始めましたが、正直4年間くらいは赤字経営で、借金返済のため、夜間のアルバイトもしました。 
 開業2年目くらいに、地元のブルーベリー農家さんと出会い、「お金が大変なら、農業やって稼げば、借金返済できるんじゃない?」と言われました。店で使う野菜の仕入れ業者にも相談したら、「作った野菜はうちで全部買い取る」という話も、もらえました。
 自分たちが作った野菜を売るだけでなく、具材という形にして売る。その売り上げを再び農業へ。ラーメン屋をやっている中で、この循環性のあるプランは、高い可能性があると感じ、店は彼女に任せ、農業を始めました。
 良い循環かと思ったのですが、悪循環でした。農業はそんなに甘くなく、かえって借金は膨らんだほどです。
 それでも、地道に販売先を探し、買い手を広げ、生産する仲間の輪を作り、なんとか事業は軌道に。17年「新秀」を立ち上げ、法人化しました。また20年に長野県営業局主催のWEB商談会からスーパーマーケット成城石井様とも取引を開始できました。
―新店舗へ(美幸さん)
 最初はラーメンの何がいけないのか分からない毎日でしたが、連日食べていると、「味にぶれ」があることに気が付きました。
 シンプルな醤油ラーメンのスープは、ごまかしが利きません。こくや甘味に「ぶれ」を出さないよう材料や調味料など細部まで分量調整します。日々の天気や湿度に麺も左右されることも発見していきました。
 タマネギの皮のむき方一つでも味が変わることが分かりました。何日か前にむいたもの、当日にむいたかで甘み風味も違う。必ず直前にむくことが大事。毎日食べて研究です。
 屋台をイメージしていたので、最初から大きな利益は考えていませんでした。それでも工夫と努力が実って、黒字化できた。同時に十分な駐車場が用意できず、ご近所や大家さん、お客さまに迷惑をおかけしてしまいました。
 夫と移転を検討し、中南信運転免許センター向かいに新店物件を見つけました。以前より大きい物件を選んだのは、ジェラートの販売も手掛ける計画だからです。農業に取り組む中、果樹関係の方々とも縁が深くなり、「地元の果物を生かしたい」と始めることに。来年春ごろから本格稼働する予定です。
 スナック経営時から、塩尻商工会議所にはいろいろ協力してもらいました。今回の移転に関しても、融資や税務など、継続的に相談に乗ってもらい、助かっています。夜の商売でも現在のラーメン屋でも、子どもたちには寂しい思いをさせました。また、夜の世界、ラーメンの世界を通して、自分たち以外にもいろんな姿の子どもたちを見てきました。
 現在、「子ども食堂」に、強い関心を持っています。「将来はこの店を―」とは簡単に言えませんが、努力と研究を重ね、長く愛されていくラーメン屋にするために、新店の経営を全力でやっていきたいです。