松本宗徳庵の瀧澤泰雲住職 節目の年半生を語る

宗徳庵住職 瀧澤泰雲さん松本市

昨年から今年にかけて、新型コロナウイルス感染による死やコロナ禍による苦境などを背景にした自殺が増えている。長く平和が続いている戦後の日本で、多くの人がこれほど死を意識するようになったのは初めてではないだろうか。
「人間の人生、苦しみ6割、楽しみ4割。でも自分の命は自分で使い切らないと」
そう語るのは、松本市の尼寺「寶泉山(ほうせんざん)宗徳庵」(筑摩2)の瀧澤泰雲住職。今年、喜寿を迎え、来年は同寺に入山して20年になる。
幼いころから、人間の生と死の「はざま」にたびたび遭遇してきた。人が自ら命を絶った現場に身を置いたこともしばしば。そんな経験も、後に自然と仏道に入ることにつながった─と感じている。
そんな瀧澤さんが節目を機に、尼僧としての半生を語った。

「寺を守って」20年前の体験

2002年秋。寶泉山宗徳庵の住職になることになっていた瀧澤泰雲さんは、初めてこの寺に泊まった。
瀧澤さんが来るまで同寺は住職が不在で、1年以上、空き寺になっていた。建物は雨漏りがひどく、屋根はこけむし、畳は至る所が黒く変色していた。
夜中、床に就いた瀧澤さんは、黒い衣装をまとった男から羽交い締めにされた。突然、襲われた恐怖から逃げようとする瀧澤さん。
だが、体が動かない。男が瀧澤さんの耳元でつぶやいた。「この寺から逃げないでくれ。この寺を守ってくれ」
朝になり、金縛りに遭ったのを自覚した瀧澤さん。あの言葉をつぶやいた人物は誰なのか|。この寺を開基したとされる戦国時代の武将、小笠原貞慶(さだよし)が浮かんだ。「貞慶の霊が浮かばれていない。自分がこの魂を何とかしなければと思った」
後日、寺の庫裏の建て替え工事で、瀧澤さんが金縛りに遭った場所の床下から、額が傷のように損傷したお地蔵さまが見つかった。

自ら命を絶つ現場にも遭遇

瀧澤さんは岩手県出身。自宅の近くには鉄道の線路があった。小学1年のころ、列車が「キーッ」という大きな音を立てて急停止した。走ってその場に駆け付けた瀧澤さんの目の前には、母子と思われるばらばらになった体があった。
「不思議なことにそれを見ても全然、怖くなかった」と瀧澤さん。「何で自ら命を絶つのかと、子ども心に思った」と振り返る。その後も同じ場所で数回、同じ経験をしたという。
社会人になり、滋賀県に暮らしていたころ、自宅マンションの窓を開けると、向かいのマンションから若い男女が飛び降りた。当時、次第に仏教に興味を持ち始めていた瀧澤さん。2人が地面に打ち付けられた辺りを清め、お経を唱えた。そのマンションは飛び降り自殺が多かったが、以降、「なくなった」と聞かされた。
瀧澤さんが師匠と仰ぐ福聚山無量寺(塩尻市片丘)の東堂、青山俊董さんに出会ったのは、瀧澤さんが50歳のときだった。青山さんの勧めで「自然と」仏道に帰依した。

「この寺の世話人会の皆さんからよく『何でお坊さんになっただい。男にでもふられたかい』と聞かれるが、『そうかもしれないですね』と、はぐらかしてきました」
77年の人生を振り返った瀧澤さんは、「生きているうちに自分に起きることは宿命。天は見ている」としみじみ。「世の中どうなるか分からないと肝に銘じ、宿命から逃げず、受け止めれば人間は必ず強くなる」と静かに語った。