【ガンズリポート】松本山雅FCJリーグ3部 再起のシーズンや今後は

反町康治さん(左)と橋本純一さん

松本山雅FCは今年、11年目となるJリーグを初めて3部(J3)で戦う。再起のシーズンや今後に、どんな展望が描けるのか。ピッチの中と外、それぞれで長く山雅に関わった2人にオンラインでインタビューし、考えや思いを聞いた。

橋本純一さん(65)日本ウェルネススポーツ大教授・信州大名誉教授

誇りを持って応援に臨んで

サポーターの「山雅愛」の強さは、よく知っている。J3になっても、応援の熱はそれほど変わらないと思う。AC長野パルセイロとの「信州ダービー」は盛り上がるはず。私は、このカードが日本で一つだけの「リアル・クラシコ」だと思っている。
伝統的に対立する地域があり、そこにサッカーチームの対戦が重なるのが「クラシコ(伝統の一戦)」。松本と長野は、県庁所在地などをめぐって対立構造を抱えてきた。山雅は中高年のサポーターが多いのが特徴だが、この年代はより長野との関係に敏感だ。
Jリーグ初の信州ダービーが、J3なのは素直には喜べないだろう。しかし、日本で唯一無二のリアル・クラシコであることに変わりはない。そんな誇りを持ち、応援に臨んでみては。
スポーツは戦争の代わりになるともいわれる。試合で長野への敵がい心を昇華し、終了の笛が鳴ったらノーサイドでたたえ合う。もともとアウェー側にもホスピタリティーを持って接するのが、山雅の特長だ。
ローカルなアイデンティティー、プライド(誇り)を持つために、Jリーグなどプロスポーツは大事な存在。地方での生きがいを担保するところがある。野球やバスケットボールのプロチームがある北信より、中信の方がサッカーにかける熱量は大きい。10年ほど前と同じようにJ2、J1への昇格を目指すことになるが、経験済みの分、前回より現実的な目標として共有できる。

日常的に希望与える存在に

山雅は試合の日だけでなく、日常的に地域に希望や楽しみを与える存在になれる。ビジョンを考える場などで新スタジアム構想を話し合ってきたが、その夢を持ち続けてほしい。
今でもサンプロアルウィンは、五感で楽しめる。観戦や応援で視覚、聴覚、触覚を使うだけでなく、グルメで味覚、嗅覚も刺激する。そのうえショッピングセンターなどを併設する複合型のスタジアムになれば、いつもハピネスを感じられる。
J2、J1復帰だけでなく、クラブとしてのバージョンアップを目指してほしい。

はしもと・じゅんいち 1956年生まれ。専門はスポーツ社会学・スポーツ文化論。信州にJクラブをつくる運動に関わり、山雅のJ入り後は、自治体や企業、サポーター代表らが将来像を話し合う「山雅ドリームサミット」、新スタジアム建設等を目指す「松本山雅ドリームプロジェクト」の座長を務めた。2021年3月に信州大教授を退官し、現職。

反町康治さん(57)日本サッカー協会技術委員長・Jリーグ理事

指揮官の意向に「リスペクト」を

─昨季の山雅の試合を見た?
「最終戦をサンプロアルウィンで見た。監督を辞めてから初めて来て、2年ぶり。J3降格が決まっていたからもっと寂しい、殺伐とした雰囲気かと思ったが、応援の熱量はそんなに落ちていないと感じた」
─降格の原因は?
「私の立場からは言えない。落ちちゃったのは寂しいよ。抽象的だが、シーズン中に修正する手だてがうまく機能しなかったとは言える」
─自身が築いた「山雅らしさ」が失われた?
「(走力や球際の強さなど)『山雅らしさ』と言われるのは、サッカーの根底の部分。やらなくていいと言う指揮官は、おそらくいない。ただ、チームにはプライオリティー(優先順位)があり、私が監督に就いた時は、技術や能力が高い選手がいなかったので、勝ち抜くためにそれを上位にせざるを得なかった。それが、ファンやサポーターに『山雅らしさ』と映ったのかもしれない」
「何を優先するかはチームのレベルで変わり、指揮官の意向もある。それをリスペクトしなくてはいけない」
─運営会社の神田文之社長は「強化と育成の両方を求めて現場に負担をかけた」と話した。
「どの段階までを育成と言うかによる。ユース(高校生)年代までか、高校卒業後も含めるのか。トップチームの現場で育成と強化を一緒にやれれば一番いいが、理想論を掲げてうまくいかない例はたくさんある。J1の常勝チームだったらいいが、J1かJ2の瀬戸際のチームには酷だ。育成と強化の両輪を回そうとしても、たぶん両方とも脱輪してしまう」
「私は『10年で育成組織からいい選手がどんどん出てくるようにしなければ』と言っていた。例えば(アルビレックス)新潟は、私が行った当時は松本よりサッカー不毛の地だったが、10年の間に酒井高徳(元日本代表DF)が出てきた」
「トップが強くなると地域のサッカー熱が高まり、流れが生まれる。指導者に恵まれ、普及に関わる人が増え、選手が出てくる。新潟は練習場も造ったが、山雅はどうだったか?10年のスパンの中で、世界で活躍する選手が出るクラブと、そうでないクラブがはっきり分かれちゃうのかもしれない。それはクラブ力の差だ」

地域に根差す「選手」の育成

─技術委員長の仕事として育成と普及も柱に掲げている。山雅のような地方クラブに期待することは?
「ひと言で言えば、地産地消。サッカーの入り口から引退まで、面倒を見られる体制をつくることだ。地域に根差した選手がいて、サッカーをする多様性が、日本サッカー界の底上げにつながる」
「Jリーグが今後、(自前で育成した選手の所属を一定数以上義務付ける)ホームグロウン制度を広げると、地元の選手がいないクラブはますます困る。視線を外ではなく、内に向けることも必要だ」
─山雅の可能性は?
「いい球技専用スタジアムがあって、不振の昨季でもJ2で1、2位を争う観客が集まる。熱をどう生かすか。下降気味なところを再燃させるのは、相当努力しないといけない。運営会社も現場もサポーターも」
「地域には、そこにしかないサッカー文化がある。離れてみて分かるが、例えば信州では横断歩道で車が止まる。子どもは渡った後で、ぺこりと頭を下げる。きまじめな人が多いんだ。そこで喜んでもらえる、地域に愛されるようにする志向は、外しちゃいけない」

そりまち・やすはる 1964年生まれ。現役時代はJリーグの横浜フリューゲルス、ベルマーレ平塚(いずれも当時)などでプレー。引退後にアルビレックス新潟、2008年北京五輪日本代表、湘南ベルマーレの監督を経て、12年に山雅の監督に就任。15年と19年に2度のJ1へ導いた。19年限りで退任し、20年から現職。