農耕生活に結び付いた儀礼
50歳間近のアラフィフにとって、「成人の日」と言えば1月15日だった。三九郎もしかり。この日の前後が小(こ)正月と呼ばれると知ってからは、なおさら特別に感じた。
うちの中でも正月らしい行事があった。1月14日、祖父が半紙に「萬物作(よろずものづくり)」と書き、神棚の脇に前年のものに替えて貼っていた。
一連のことが、大学入学を機に信州を離れて以降の間に、だいぶ変わった。成人の日が1月第2月曜となり、合わせて三九郎を焼く日も移動。うちでは祖父が亡くなってから、半紙が貼られることはなくなった。
30年ぶりのUターンで、小正月について調べてみた。元日の正月は「大(おお)正月」とも呼ぶ。「大正月の方には年始あいさつなどや公的な儀礼が目立ち、小正月には農耕生活に結びついた重要な儀礼が多い」と、信毎が1971年に発行した「信濃の民俗」にあった。農民にとっては、むしろ小正月なのだ。
小正月に豊穣(ほうじょう)を願って作りものをする習俗は各地にあり、三九郎で焼く繭玉もその一つ。「萬物作」を書く風習は、諏訪から東筑摩にかけて集中していると、県教委が84年度にまとめた調査報告書は記していた。
その昔は東筑摩と呼ばれていた古里に農を志して帰ってきたからには、小正月に筆を執ってみたくなる。大正月に続いて雪景色となった14日、すずりで墨をすり始めた。
ただ風情や意気込みに引き替え、道具がまずい。なにしろ弟の小学生時代のものだ。推して知るべしで、私の手もまずい。「萬物作」を何度も書き連ねることになった。
たった3文字なのに、一画一画進めるのさえ難しい。筆の力加減、字のバランス…。耕作に通じるのかもしれない。一鍬(ひとくわ)一鍬の大事さとか、田畑全体の作付けのバランスとか。古い習俗をめぐって、そんな深読みもしながら筆を運んだ。
終わると、母が「おじいちゃんはあの辺に貼っていた」と壁を指さした。その先に古い画びょうが刺さっていた。抜いて、十余年ぶりに新しい半紙を貼った。