[創商見聞] No.68 伊藤 敬一郎 (北安醸造)

 「創商見聞 クロスロード」の第68弾は、清酒「北安大國」で知られる大町市の酒造業、北安醸造の伊藤敬一郎社長に、地元に根差した100年の歴史と新たな世紀を目指す思いを聞いた。

「百年継承」地元に支えられ

【いとう・けいいちろう】45歳。大町市大黒町生まれ。2001年入社、 2006年代表取締役社長。

北安醸造

大町市大町2340-1  ☎0261-22-0214

―大正時代から株式会社で
 私で5代目の社長になります。関東大震災があった1923(大正12)年の10月2日に株式会社で創業し、今年で100年目を迎えます。
 創業時、出資者は曾祖父含め6人でした。歴代の社長や過去の役員も、当時の出資者だったり、その子孫が就任しています。祖父は社長をしてますが、曾祖父や父はしていません。
 200年、300年の歴史を持つ酒蔵はたくさんありますが、法人化は昭和以降が多いそうです。大正という時代、地方小都市の大町という環境から考えても、株式会社方式での創業は相当なチャレンジだったと思います。大町市の法務局(長野地方法務局大町支局)でも、最初期の株式登記事例だそうです。
―杜氏、蔵人は新潟から
 実際に酒を造る人探しも大変だったようです。酒の味を決める杜氏の初代は、新潟県の上越から呼んでいます。現在の多くの酒蔵では杜氏はスカウトし、作業をする蔵人は地元で確保という形式が一般的ですが、創業時は蔵人も数人、新潟から呼んだそうです。
 酒蔵は地元に新しい店ができるきっかけにもなってきました。当時は造り酒屋に何年か勤めると、税務署から酒の小売業の免許が発行される制度があったそうです。近所にある酒店は初代杜氏が免許を取得し、新潟から転居して開店した店です。市内で昭和から続く酒店の中には、同じように酒蔵と縁がある店が何軒かあります。
 現在の杜氏、山崎義幸は愛知県出身で、実家は味噌の蔵元でした。元々山好きで大町になじみがあったことから、求人に応募してきました。酒も味噌も発酵食品という共通点にひかれたようで、前任者の下で修業し、2007年から杜氏を務めています。
 彼は松川村の水田4㌶ほどで酒米を栽培しています。うちの原料はそこの米が中心です。清酒の年間出荷量は7万㍑ほど。規模は小さな蔵ですが、米の栽培から醸造、出荷まで一貫して手掛けています。
―近所のお風呂・公民館
 酒蔵は地域のコミュニティースポットとして、いろいろな人たちの思い出の舞台だったようです。昭和の初~中期、蔵の一角に米を蒸す大きなせいろがあり、その湯を沸かす釜を、近所の人の風呂として使っていたそうです。
 先日、90代のおばあちゃんが遊びに来て、「朝、せいろの上でお米を蒸した大釜のお湯は、午後になるとちょうどいい湯加減になった。あれはいい思い出」と話してくれました。
 酒蔵は、町の中では大きな建物でしたので、2階の畳大広間は相生町の公民館としても使われました。以前、広間を片付けた際に、祭りの稚児道具などが出てきました。
―地元・近所の株主に支えられ
 県内でも小さな酒蔵ですが、株主は80人くらいいます。90年初頭の法改正で増資が必要になった時、地元や近所の方々が出資してくださいました。
 小さな会社で株主が80人いると経営上、判断が遅くなり大変なこともあります。正直、配当金も払えないので株式買い戻しの話をしたこともありました。それでも皆さん口をそろえて「お金目当てじゃない。自分たちの町の酒蔵を応援するために株を持っていたい」と話してくれて、とてもありがたいことです。
 現代のクラウドファンディングの感覚に似ているかもしれません。これからも地元・近所の皆さんとの深いつながりを、地元の酒蔵として大切に守っていきたいです。
―大町商工会議所で学んだこと
 入社した翌年から商工会議所の青年部で20年近く活動し、現在も商議所の最年少議員として務めています。
 商議所では他業種の同世代経営者の考えや、先輩方の体験談が聞けます。最も学ばせてもらったことは、「自分の社業を発展させることが地域貢献につながる」こと。会社を経営する上で非常に役立っています。
 また、3年ほど前から、100周年記念事業に向けて小規模事業者持続化補助金を相談し、申請しました。
―創業100年目を迎えて
 1世紀の間には紆余曲折、いろいろありました。次の100年にどう取り組むか、販路拡大も含めどうやって外にアピールしていくか―。 
 「温故知新」をベースに、商品全般のリブランディングを検討しました。まず既存商品のうち7商品を終了し、9商品の酒の味やラベルをリニューアル。約3年計画で入れ替えを行っています。
 ラベルデザインは、京都や、金沢、東京などのデザイン会社とも相談したのですが、松本の会社にお願いしました。経営面、販売面などさまざまな角度から何度も話し合い、また商品の特徴をとらえるため飲み比べもし、新しいデザインができました。
 地元、大黒町に大黒天の石碑があります。千国街道(塩の道)と善光寺街道の分岐点としての目印だったようです。これにあやかり創業期、大黒(だいこく)=「大國正宗(だいこくまさむね)」と銘じて清酒の醸造を始め、後に「北安大國」と改銘しました。
 この「北安大國」のラベルを漢字から大黒天のイラストに変えました。太い文字の印象も強かったし、県外の方から「きたやすおおくにって酒ある?」と何度も尋ねられてきました。読みにくいなら絵でかわいらしく。イラストで、新しい世代にもアピールしたいです。
 この春には「北安大國」の純米吟醸も、味をさらに研ぎ澄まして発売します。伝統を継承しつつ、新たな門出にふさわしい北安醸造のリブランディングを今後も楽しみにしてほしいです。