染めの伝統、印刷を融合

明治から続く染物店「井垣屋」6代目 井垣壮平さん

松本市中心市街地で明治時代から続く老舗の染物店「井垣屋」(中央3)。着物の染めや洗い出し、仕立てなど歴代の職人が技術を積み重ねてきた。
現店主の井垣壮平さん(37)が6代目を引き継いで10年。4代目の祖父と5代目の父が相次いで急逝し、他業種から転職してのスタートだった。
染めの経験がなく、途方に暮れた先に見いだしたのは衣類などの印刷事業の立ち上げ。着物が染められないのなら機械を用いて洋服にプリントしていこうと発想を転換した。
なまこ壁の建物が城下町松本の風情を今に伝える店構え。その裏にある、かつて着物の染め工場だった場所で一枚一枚、Tシャツやユニホームなどの印刷に向き合う井垣さん。伝統と現在をつないだ新たな形でのれんを守ろうと奮闘している。

祖父、父が急逝会社辞め店継ぐ

井垣屋の店舗裏にある工場で井垣壮平さんが印刷するのは、学校や部活などのユニホーム、クラスTシャツ、飲食店の制服や販促用のポスター、ステッカーといった品々だ。絵や文字、写真など印刷で彩られた品々は手作り感満載。どれもローカル色が豊かで依頼主の個性があふれている。
工場の一角には山積みになった試作品や失敗作も。従業員はおらず印刷は自分自身でこなす。「細かい作業が好きなので楽しい」という。
松本県ケ丘高校から都内の大学に進学、卒業後はテレビ松本(里山辺)で営業を担当した。染物店は職人歴60年以上の祖父が営み、銀行員だった父が50代後半で退職し染めの技術を習い始めていた。
転機は2012年。祖父が92歳で亡くなった2カ月後、父が倒れた。ステージ4のがんと診断され、半年足らずで帰らぬ人となった。
染めの知識も技術もなかった井垣さん。それまで継ぐつもりはなかったが、店の片付けをしていると心が揺れた。顧客に「伝統ある店を閉めてはもったいない」とも言われた。祖父の技を受け継ごうとした矢先に亡くなった父の志もある。テレビ局を退職し、店を引き継いだ。

世の変化に対応職人気質は健在

当初は染め職人を目指したが、一人前になるまで修業期間が長いことに直面した。店は“待ったなし”の経営状態。和装部門は専門店に取り次ぎ新たな事業を模索した。
社会人サッカーチームに所属していて、ふと「ユニホームの加工ができたらいいな」と思い付いた。ロゴやウェブなどのデザインを手掛けるチームの先輩にも背中を押され印刷事業に着手。当初は新聞配達をしながら生活を支えた。
その後、サッカーチームの先輩から仕事を紹介され、口コミで広がった。5年ほど前から軌道に乗り「サッカーチームの皆さんのおかげで今がある」と感謝する。
現在、松本染色組合の組合員は減少が著しく井垣さんは最も若手になる。「時代の変化に対応する意欲はたいしたものだ。染めの伝統と印刷をどう融合させていくか期待している」と、白木好雄組合長(67)。
新たな機械も導入し、多種多様な印刷ができるようになった。昨年は株式会社に移行。「インターネットでも注文できる時代だが、対面受注の地域密着型でクオリティーの高いものを作っていきたい」と井垣さん。明治から脈々と流れる「井垣屋」の職人気質は令和の今も健在だ。