[創商見聞] No.70 吉江 弘美 (信州松本おやき高峯)

 「創商見聞 クロスロード」の第70弾は、松本市巾上で「おやき高峯」を経営し、中信地域のコンビニなどに卸売りもする、株式会社弘峰の代表取締役おかみ吉江弘美さんに話を聞いた。

おやき1番目指して

【よしえ・ひろみ】55歳。安曇野市豊科生まれ。いずみ計算専門学校卒。2019年7月、株式会社弘峰創業。代表取締役おかみ就任。

信州松本おやき高峯

松本市巾上3-4 ☎ 0263-32-3422

―ハローワーク帰りから
 先代から店を引き継いで14年。全力で仕事に向き合ってきたこともあり、あっという間でした。
 2008年の春、求職のためハローワークに行った帰り道、「親戚のおやき屋さん」に立ち寄ったのが全ての始まりでした。
 当時、父の姉が営んでいました。その日伯母は「昨日から歩けなくなった」と店の2階で寝込んでいて、当分店に出られそうにない。放っておけず、おやきの作り方も分からないまま介護と店番の同時進行の生活がスタートしました。
 伯母は医者から「悪性腫瘍で余命3カ月」の宣告を受け、半年ほど介護しました。何度か「お店を継がないか」と誘われました。最初はためらったものの、結局「私しかいない」と覚悟を決め、走り出しました。
 「主婦」からのスタートで、当然経営をしたことはありません。創業(1946年)50年以上の老舗ののれんも正直重かった。しかも子育て、介護をしながら。
 それでも、なぜか自然に自分の中で「やるからには1番になりたい」という気持ちが膨らんでいました。単なる「希望」ではなく、はっきりと「野望」と呼べるような強い意欲だったと思います。
 当時の店の売り上げは月に50万円ほどでした。1個200円前後のおやきを1日に120個売って、約2万円。年商600万円です。旧型のてんびんで生地を一つ一つ量り、一度に20個も入らない蒸し器で20分蒸すという製法でした。
 商品は午前中に売り切れて午後には閉店することも多かったし、パートさんと2人でこなせましたから、人件費もそれほどかかりませんでした。
 でも売り上げやお店のイメージが上向く将来像は描けていなかったです。昭和的な手作り製法は尊重しながらも、限界を感じていました。
―「おやきサミット」出店
 1歩前進したのは2017年の「北アルプスフェア」(国営アルプスあづみの公園大町・松川地区主催)で開催された「信州おやきサミット」への出店でした。
 県内の業者が10店以上集い、名産おやきを一度に味わえるイベントで、店の知名度も一気に向上。翌年、安曇野市の穂高神社で行われた新そば祭りにも出店し、そこでも知名度を上げることができました。
 その時から松本商工会議所と縁ができ、同商工会議所主催の合同商談会などに顔を出し、融資相談や営業展開など、さまざまな勉強を重ねました。
―一度に100個作るには
 受け継いだ製法では、1回に20個止まりだったおやきを「もっと一気にたくさん作れたら」という思いはずっと持っていました。
 でも商工会議所では、その前段階で、食品の製造・販売の基礎を学ぶことの大切さを認識させてもらいました。
 たくさん作りたいんです―。「商品の保管方法は?」「冷蔵庫のサイズは?」「野沢菜など仕入れ具材のストッカーは?」「原価からの最終売価は?」「一度に100個作るための作業員の人数は?」「作業の手順は?」。
 商工会議所からの質問に、私は「ええっと…」と、言葉を詰まらせるばかり。たくさん作りたいとは思っていても、それをどう実行に移して売っていくかまで考えが及んでいなかったのです。
 そんな私に対し、商工会議所の担当者は丁寧に、しっかりと相談に乗ってくれ、経営状況の分析、計画策定とその実施方法、市場調査、販路拡大手段など、さまざまな面で支援をしてくれました。
―基礎から学び法人化 
 悩んだのはイメージとの隔たりです。おやきには手作り、ハンドメードのイメージがあります。量産を図ると機械を使うことになる。その兼ね合いをどうバランスをとるか。難しかったです。
 19年7月には、法人化して店舗の外装や設備を一新。10月にフルリニューアルオープンしました。1度に100個蒸せる設備もできました。
 現在3年経過し、コロナ禍ではありますが、売り上げは好調です。量産することで、店頭も順調ですが、卸販売が広がったことは大きいです。
 おやき事業の規模では、独自出店のリスクはとても高いので、今後も新店の予定はありません。
 卸売りの強化は、売り上げ向上への必須条件です。現在中信地域でコンビニを5店舗経営するフランチャイズ会社に卸しています。JR松本駅ビルの土産売り場などとも取り引きがあります。5月末からは安曇野市豊科にオープンするスーパー原信に卸し、夏からは同スーパーの北信地域店舗にも出荷予定です。他にも農産物直売所や別のコンビニとも取り引きを始めます。
 今後の増産構想もあるのでセントラルキッチン化や、大型ストッカー設置なども計画中です。
―日々の努力
 家庭では主婦なので、経営の本を読むような勉強はまったくできません。でも現場で、日々の努力は重ねてきました。
 おやきは昭和的な手作り感を出した方が良いと思って、これまでは古風で静かなイメージで店頭も卸も運営してきましたが、逆に「昭和過ぎてもいけない」ことに気付きました。個包装一つにも売るための工夫が必要です。ラップを巻いただけではだめで、かわいらしいプリント柄を入れるとか、売り場をにぎやかにするポップ広告を導入するとか。
 一気に売り上げを伸ばしてきたわけではなく、地道に家事と両立させながらさまざまなことを学び、日々の努力を重ねた結果、現在の年商は2000万円になり、引き継いだ当時の3倍になりました。
―100年3代継承へ
 偶然だったのか必然だったのか、私自身が店を引き継いだのは本当にたまたまです。そんな経験があるからこそ、しっかりした計画的な事業継承が必要だと強く思います。3人の子どものうち1人が事業を継ぐことに関心を持ってくれ、少し安堵しています。
 「100年3代続く店」を目指し、本当に1番のおやき屋さんになりたいです。