焼失した大音寺山で植樹続け10年「浅間温泉木の絆会」

地域の宝、観光客の呼び水に

「いやあ、これはいい。根付くぞ」。久保村能久(よしひさ)さん(78、松本市浅間温泉1)は、声を弾ませた。
松本市本郷地区の大音寺山。久保村さんは数日前に仲間とツツジやサツキの苗木を植えた。その後、季節外れの暑さになり、生育が心配だったが、雨上がりのこの日に見に行くと、葉はつややかに茂っていた。
山はかつて松林だった。20年前、大火に襲われ焼失した。再生活動が始まり、10年前に住民組織ができた。現在のNPO法人「浅間温泉木の絆会」だ。久保村さんは結成以来、会長を務め、木を植え続けてきた。
以前に植えたサクラやハナモモがこの日、見事な花を咲かせていた。「見に来る人が多くなってね。『いいところになった』と言ってもらえるのが張り合いです」

歩道や看板整備緑の復活も苦労

2002年3月、大音寺山の麓で火の手が上がった。折からの強風にあおられ、山肌をなめていく。久保村能久さんは、その様子を遠くから眺めていた。「この山、どうなっちゃうんだ」
子どもの頃にマツタケを採った。結局、170ヘクタールを焼き、思い出の山は丸々焼けた。
行政や地域住民が焼け跡の整備を始めた。植樹活動には信州大留学生も参加した。
大手メーカーの転勤族だった久保村さんは、途中から加わった。やがて地元で町会長となり、火事から10年過ぎた12年6月、周囲に呼び掛けて地元組織を立ち上げた。
名称は「浅間温泉遊歩道木の絆会」。理念がふるさとを育むことに広がり、16年にNPO法人となった時、「遊歩道」が抜けた。
発足メンバーは12人で久保村さんが最年少。シニアたちが奮闘し、急斜面にはびこるニセアカシアや野バラを駆除し、擬木で歩道を整え、看板を立てた。
緑の復活にも苦労した。火災後自然に生えたマツは、おおかた松くい虫で枯れた。500本植えたコスモスは、シカに食べられた。
岩がちの土壌は、苗木の根付きが悪かった。新たにため池を造って、山腹に据えたタンクまでホースで水を引いた。
繁殖力のある外来植物を抜いた跡はいい土がある。そんな豆知識を経験から習得した。

仲間と話し合い季節感じる山に

植える樹種は、仲間で話し合ううちに広がった。いっそ四季を通して楽しめるようにしよう―。春のハナモモ、夏のサルスベリ、秋のモミジ、冬のサザンカ…。遊歩道の筋ごとに特徴を持たせて植えるようにした。
植樹は例年3回。松本ライオンズクラブ、松本西南ロータリークラブなどから寄贈を受け、10年で3000本植えた。
「木の数はそろってきた」と久保村さん。「これからは、成木に育てる維持管理に力を入れる。原点に戻って、遊歩道をもっと歩きやすくもしたい」
子どもの頃、温泉街は今よりにぎわっていた。その裏山に当たるのが大音寺山だ。「会に入っていない住民の意見も取り入れて、地域の宝になればいい」。焼け山が観光客の呼び水に変わることを願っている。