東西欧州文化の融合地
2007~08年の間の1年半ほど、文化庁の「文化交流使」としてオーストリア・ウィーンを拠点に囲碁紹介・普及をしました。
長期滞在の拠点としてウィーンを選んだ理由は、囲碁熱が1980年代ごろに西欧州から東欧州に急速に広がり地の利の良いことと、国際都市であること、すなわち英語が日常生活で使える便利さからでした。
また欧州の囲碁の歴史は明治時代に技師として来日したドイツ人のオスカー・コルシェルト氏が時の本因坊・秀甫に碁を学び、帰国後の1880年にドイツ語で初の囲碁の本を出版した経緯から、ドイツ語圏の囲碁の歴史は古く、強いプレーヤーたちを輩出していたことも背景にあります。
ウィーンは、オペラファンの私にとって大好きな街で何回も訪ねていましたが、「暮らす」のは初めて。アパートを探し、家具を揃(そろ)え、暮らし始めると、それまでの印象が大きく変わりました。
観光で訪れるウィーンは芸術と音楽の都。住んで分かったウィーンは、まさしく東西欧州の分岐点。すなわち西側の便利さと、東側の窮屈さ、不便さが混沌(こんとん)とした街でした。
観光客で賑(にぎ)わう街の中心地では気付かない、縁の下の力持ちは東側の労働者たち。そして、いざ暮らし始めると、日々問題勃発!壊れた家具が届き、電化製品が壊れ、そのたびにドイツ語、英語も通じない多々な国々からの移民、出稼ぎの大男たちと交渉しなければならず、困惑の日々が続きました。そして、ある日、突然、気づいたのです。
ありとあらゆる文化、人種が混じるカオスの国際都市・ウィーン。そこには「人種のるつぼ」の摩擦を緩和してくれる極上の音楽と、たっぷりの泡立てた生クリーム付きの大きなケーキが必要なのだと。
そして大変な生活を助けてくれた囲碁プレーヤーたちとは本当に親しくなりました。再会できる日が待ち遠しいです。(日本棋院・棋士六段、松本市出身)