伝統技術受け継ぐ松本紬「千と勢屋」・伝統工芸士の武井豊子さん

松本地方に江戸時代から伝わる絹織物「松本紬(つむぎ)」。県全体では「信州紬」と呼び、国の伝統工芸品に指定されている。その技術を受け継ぐ武井豊子さん(66、松本市入山辺)は、信州紬で6人しかいない日本伝統工芸士の一人だ。
織物の世界へ足を踏み入れて47年。手織りと草木染に心血を注ぐ。葛(くず)、蓬(よもぎ)、茜(あかね)など野山にある草や木で作った染料を使って絹糸を染め、手機(はた)で一点一点ふっくらした風合いの作品に仕上げる。
屋号は「千(ち)と勢(せ)屋」。ミレニアムの2000年に名付けた。茶(ちゃ)杓(しゃく)の銘にあり縁起が良いとされる千歳(ちとせ)(千年)から採った。
親から子、子から孫へ…。松本紬の技術、自身の作品が「千年も万年も続いてほしい」との願いを込め、織り続ける。

地道に積み重ねた仕事

松本紬の日本伝統工芸士・武井豊子さんの仕事場は松本市中山の実家。緯(よこ)糸を通す手投げ杼(ひ)の音と、筬(おさ)を打ち込む音がリズミカルに響く。織物で「物語のある宝物」を作り出す、独りの世界だ。
最新作は訪問着「あまのはら」。藍や茜(あかね)などで染めた糸に天蚕糸を加え「憧れのオーロラをイメージした」。「すくい織り」の技法で天蚕糸の輝きが表に出るよう工夫。昨年後半から制作を始め、5月にやっと完成した。
天蚕は「緑のダイヤモンド」と呼ばれ、安曇野市天蚕センターが飼育を行い糸も紡ぐ。武井さんが天蚕糸を使うようになったのは二十数年前から。今ではそれが松本紬の特色になり、顧客からの要望も多いという。

織物に魅せられたのは信州大繊維学部(上田市)の2年生だった1975年。学んでいるものが将来どう生かせるかイメージが湧かず休学、松本市の織元「会津屋」の研究生となり、永井千治さん(故人)から織物の基礎知識、織りの技術、デザイン、色彩感覚などを学んだ。「手織りは生地だけで存在感がある」。布に感動する「衝撃」を受けた。会津屋で3年間修業。「卒業制作」は訪問着の2反だった。
独立し、親戚や知り合いから注文を受け、口コミで仕事は少しずつ増えた。が、結婚後は育児などで中途半端に。91年、1回だけ個展を開いてからやめようと「仕事展」を開催した。「思いがけずお客さんが入り、やめられなくなった」
98年には日本伝統工芸士に認定。2003年、全国伝統的工芸品公募展で訪問着が最高賞の「内閣総理大臣賞」を受けた。「普段着の歴史がある紬が、訪問着もOKだというお墨付きをもらった」。これ以外にも数々の受賞歴がある。技術が全国的に高い評価を得ている証左だ。

昨今、和服の需要が減っている。伝統技術の継承も容易ではない。それでも「大量生産でない品を一つ一つ集中して作ることが大事。いい物を作っていれば誰かが見てくれる」と武井さん。
3年後は、この道50年になる。これまで子育て、親の介護など、その時々に取り巻く状況と折り合いを付けながら、仕事を続けてきた。「自然な形で、肩肘張らずにやっていくのがいい」。地道な仕事を自身のペースで積み重ねた実感だ。

【信州紬】県内全域で生産される絹織物。地域によって松本紬、上田紬、山繭紬など呼び名が異なる。信州は古来から養蚕が行われ、江戸時代には各藩が奨励。農家の副業として織物が始まり、紬の産地に。1975年2月、通産省(現経産省)から伝統工芸品に指定された。県織物工業組合によると、現在、登録されている信州紬の伝統工芸士は6人(うち松本紬は3人)。2003年ころの20人から大幅に減り、後継者育成が課題だ。