桂重英美術館20周年 原点回帰の思いは

切り立った稜線(りょうせん)と群青に近い複雑な空色。油彩画「前穂北尾根」は、北アルプスの涸沢から眺めた山容を描いた。山特有の空の青さにこだわり、臨場感と感動を伝えている。
信州の風景を愛した画家・桂重英(かつらしげひで)さん(1909~85年)は、新潟県で医師の家系に生まれた。デザイン事務所を営んだが山岳画へ思いが募り、事務所を閉めて松本市に移住。制作に情熱を注いだ。
「現場で描くと光も空気もまったく違う」と、風景と向き合う制作を大切にした桂さん。没後に家族が開設した「桂重英美術館」が20周年を迎え、開館時と同じ作品を展示している。原点回帰の思いに触れた。

画家の全貌を物語る作品群

松本市里山辺。小高い丘陵地の一角に「桂重英美術館」はある。小窓を設けた程よい開放感のある空間に、四季折々の風景画が並ぶ。繊細な雲の色や形、太陽の光と影…。生き生きとしたタッチには、桂重英さんの「描く喜び」が凝縮されているようだ。
展示は23点。20代で第1回河北美術展(1933年)河北賞を受けた「青根(あおね)風景」をはじめ、古里・新潟の冬の景色を描いた「海鳴り─」、自宅近くで描いた80号の大作「山麓─秋─」など、初期から晩年まで、画家の全貌を物語る作品群だ。
「描きたい風景に囲まれ、その感動を描くのが喜びであり苦しみでもあったと思います。『自然にはかなわない』が父の口ぐせでした」。次女で双子の妹の矢﨑聰子さん(53、里山辺)は語る。

現場にこだわり描きたい場所へ

桂さんは新潟県新発田市で開業医の四男に生まれた。実家の医院に飾ってあった明治期の洋画家山本芳翠(ほうすい)の「裸婦」に感銘を受け、絵に興味を持った。
兄3人は医師になったが桂さんは日本美術学校洋画科へ。安井曾太郎に師事し公募展にも出品したが、戦争を経て画家の道を中断し、東京・銀座や新潟市でデザイン事務所を経営。ポスターコンクールで入賞し活躍した。
デザイン事務所の仕事で初めて北アルプスで高山植物の群生を油彩で描いたという。56歳の時、「山を描く純粋美術に専念したい」と事務所を閉め松本市に移住。北アを望む現在の場所に住居とアトリエを構えた。
描きたい景色の場所に画材を運び、現場主義にこだわった。同じく山が好きで移住した画家らと「信濃山岳画協会」を結成、公募展への出品など75歳で亡くなるまで描き続けた。

美術館は自宅の改築を機に「気軽に見てもらう場所を」と、アトリエ跡に妻の春美さん(84)、筒井綾子さん(53)と聰子さん姉妹が2002年に開館。約80点の所蔵品を入れ替えながら展示してきた。
父が制作中に聴いていたクラシック音楽に影響を受け、フルート奏者になった綾子さんと聰子さん。展示室にはピアノも置き、コンサートを開いて作品に音色を添えてきた。
現在は完全予約制で聰子さんが対応する。周辺には作品に描かれた場所もあり、鑑賞後の余韻はひとしおだ。
「作品の中で父は生き続けています。絵を見て何かを発見したり、ほっとしたりできる空間でいられたらうれしい」と聰子さん。桂さんが絵筆に込めた自然への畏敬に寄り添っていく。
入館料400円(飲み物付き)。要予約。同館TEL0263 ・ 25・6419