居酒屋「弁慶」 娘の手で「オニワカ」に

店と母への思い込め

母から子へ、弁慶から鬼若へ─。
塩尻市大門商店街の東の端、東(あずま)町商店街で46年間続いた老舗居酒屋「弁慶」。瀬嵐(せあらし)豊子さん(79、大門三番町)が両親の協力も得ながら女手で切り盛りし、高齢のため惜しまれながら閉店したこの店を、娘の好美さん(49)が新しいスタイルでよみがえらせた。
その名も「おもしろ空間オニワカ」。1階は旧店舗を生かし、昔からの売りの豚肉料理をメインとした居酒屋に。2階の2部屋は、外国籍の子どもらを対象にした学習室と、好美さんの好きなレコードや楽器を展示販売するスペースにする。
繁栄する商店街や店を訪れる人のにぎわいの中で生まれ育った好美さん。武蔵坊弁慶の幼名、鬼若から名前を取り、自身を育ててくれた店と母への思いを込め、一歩を踏み出した。

店や商店街を子どもの支えに

3日夕方。塩尻市大門三番町の旧「弁慶」入り口に、手作りの「オニワカ」のれんが掲げられた。リニューアルを待ちわびた常連客のほか、店主の瀬嵐好美さんがボランティアで日本語を教える外国人留学生の姿も。好美さんは仮装してカウンターで、母の豊子さんは客と並んで座り、再開を祝い乾杯した。
同じ商店街の並びで精肉店「三河屋」を営み、肉を卸すとともに40年近く常連として通う今井政男さんは「お母さんの客も大切にしながら、自分らしい店を長く続けていってほしい」と激励。その言葉をかみしめるようにうなずく好美さんの姿があった。

好美さんは1972年8月生まれ。その年のクリスマスイブに弁慶は開店した。開店すぐの年末、父が出ていった。以降、店は母の豊子さんとその両親で切り盛りしてきた。
一杯飲み屋や割烹(かっぽう)など時代ごとにスタイルは変わったが、とんかつが名物だった弁慶。近所への出前は、まだ小学生だった好美さんが岡持ちを持って運んだ。多感な中学・高校時代は「酔っ払いがいる店が恥ずかしくて、店が大嫌いだった」が、好美さんの幼少時代のほとんどの記憶は弁慶とともにあった。
大学で実家を離れ、中国語を専攻した好美さん。飲食店でアルバイトをするうちに、嫌いだった飲食業に面白さを感じた。卒業後は塩尻に戻り、家業を手伝いながら、日本語教師の資格を取ったり、市の臨時職員として外国籍の人の相談員として働いたり、子どもを教えたりもした。次第に街や商店街に愛着が生まれ、寂れてしまった東町の活性化や地域の居場所づくりを模索するようになった。

日常忘れ楽しく 母の居場所にも

そうして作り上げた「おもしろ空間オニワカ」は、1階が居酒屋、2階の宴会場だった2部屋は、学習支援室と楽器など趣味の部屋に充てる。それぞれの空間をイメージしたキャラクター(豚、カッパ、サル)も自らデザイン、西遊記の涅槃(ねはん)になぞらえ、「日常を忘れ楽しめる空間に」との願いを込めた。
店の再開にはもう一つ、苦労して自分を育ててくれた母への強い思いがある。豊子さんは4年前に店を閉じてからほとんど家で過ごすようになり、物忘れなども増えた。「お客さんと話すことで頭も活性化するし、母の居場所にもなれば」
店の改装には常連客も手弁当で加わり、壁をクリーニングしたりカウンターを塗り替えたりした。豊子さんは「裏の自宅から店に入ると背中がしゃきっとしてスイッチが入る」と、自慢の料理を作るなどまだまだ現役だ。
好美さんは「子どもの頃、玄蕃まつりのお化け大会が本当に楽しかった。この店や商店街が、子どもたちの心のよりどころとなり、多世代が交じり合える場所になってくれたら」と願う。今後、商店街の他店とも協力してのイベント開催や、子ども食堂などの運営も視野に入れる。
午後5~9時頃、水曜定休。TEL0263・52・2532