【小林千寿・碁縁旅人】#33 欧米の危険

2010年5月31日、シャンゼリゼ通りのデモの様子

1974年から2019年秋までに合計10年ほど海外在住、海外旅行も数え切れないほど行きました。その間、日本では経験しそうもない「危険」に何度も遭遇しました。
1980年、アメリカ・ワシントンDCへ囲碁指導に訪れた時に泊まったホテルがウォーターゲート事件で有名なウォーターゲート・ビルの隣だったので見学に行きました。大きなビルの中のショッピング・エリアの宝飾店に入ると、店員の若い女性たちが泣いているのです。異様な雰囲気だったので、思い切って「どうされたのですか?」と聞くと、「今、銃を持った強盗が宝飾品を奪って出て行ったんです!」。私は、すれ違っていたはずです。
2010年5月31日、フランス・パリのシャンゼリゼ通りがトルコとイスラエルの国旗を持った人々と、機動隊に埋め尽くされていました。
支援物資輸送のためにパレスチナ自治区ガザに向かっていた支援団体の船団6隻とイスラエル軍の衝突があった直後です。
いつもは観光客で埋まるシャンゼリゼ通りが殺伐化していました。それを横目に歩いていると突然、機動隊が歩行者に催涙ガスを放出!強烈な痛みで目を開けていられず、涙がボロボロ出てきて、顔はヒリヒリし、10分くらいは身動きできませんでした。
やっと目を開けて最初に見えたのは、避難した洋服店の中で手錠をかけられている人たち。ドサクサ紛れに物を盗む人たちがいたのです。
フランスで爆弾事件が多発した頃は、飛行場に3人一組の警官がライフル銃を持ち、警察犬を連れてパトロールしていました。
そして、日々どこでも持ち主が不明と思われる荷物があれば、人々は気づくとすぐにその場から離れます。もし、すぐに持ち主が現れない時は爆発物処理班が中身を確かめずに特別な箱に入れて処理するそうです。
日本の平和な日常生活が保たれることを心から祈ります。(日本棋院・棋士六段、松本市出身)