82歳の市民ランナー 走る充実感 人生の力に

松本市波田の古畑武利さん(82)は、県縦断駅伝に5度の出場経験がある実力派の市民ランナー。大会出場は75歳で引退したが、今も週2~3日の朝のジョギングを欠かさない。「毎日完全燃焼」をモットーに、走ることを生きがいとした生活を続けている。

49歳で県縦断駅伝に

午前4時半に起床し、布団の上でストレッチすることから、古畑さんの1日が始まる。心と体にスイッチを入れ、アップダウンがある自宅の周りを2・5キロ走り、シャワーを浴びたら、仏壇の前で読経。朝食には自家菜園の新鮮な野菜が並ぶ。
背筋は伸び、足は肉付きが良く若々しいが、さすがに腰の痛みが出てきた。「ある程度走った方が具合がいい。痛いからと動かないでいると、足が前に出なくなってくる」。体を壊さない程度の運動が、健康の源になっている。

冷暖房の機械を運転する技術者として、同市の施設や学校などで働いた。松本城公園内の日本民俗資料館(現市立博物館)に居た32歳の時に、ランニングを始めた。「ずっと地下にいる仕事だから、外で何かしなきゃと思った」
完璧主義で負けず嫌い、やるからには全力で打ち込む性分で、週末の大会出場を励みに、昼休みに城山公園まで往復して走りを鍛えた。大会で結果が出るとうれしくて、のめり込んだ。
10キロなど中距離種目に多く出場し、妻と娘2人をドライブの供にして、市内で開いた「すすき川元旦マラソン」から東京の「青梅マラソン」まで、県内外のありとあらゆる大会に足を運んだ。
「走るのも楽しかったが、家族とあちこちに行ったのが、今思えばかけがえのない時間だった。家族のサポートにはうんと感謝している」と相好を崩す。
49歳の時に、旧波田町から県縦断駅伝の塩尻東筑木曽チームのメンバーに初めて選ばれ、5年連続で出場した。「遅咲きだったが、『年齢は関係ない』と証明できたのが誇りかな」と、当時の新聞記事の切り抜きに目を落とす。

古畑さんには2人の娘のほかに、幼くして亡くした子どもが2人いる。最愛の妻の日出子さんも17年前に他界した。「走り続けたから、つらさを乗り越えられた。努力すること、結果が出ること、仲間を得ること、家族と過ごすこと…。そこから得られる充実感や自信が、自分を支えてくれたんだ」
大会に出なくなった今も、走るのをやめない。走ることで、生活のリズムができる。いつも通りの生活が、心にゆとりをもたらしてくれるという。
「これから先、距離が短くなっても、回数が少なくなっても、走るのはやめないよ」。そこにゴールはなく、ただ喜びだけがある。