55年ぶり安曇野一日市場の舞台が復活

地域の宝伝統つないで

安曇野市三郷明盛の一日市場(ひといちば)区の夜に引く舞台(山車)が、55年ぶりに復活した。昔の写真がないため、古老の記憶などを頼りに修理された。
同地区は3年前、昼に引く舞台を大改修。完成と同時に「一日市場区祭り保存会」が結成され、夜の舞台の改修と曳行(えいこう)を検討、今年4月決定し、6月から改修を始めた。彫刻が施され漆塗りの昼の舞台と異なり、華やかさはなく簡素だが、夜はちょうちんや柳花(やなぎばな)が飾られる。
コロナ禍で曳行は断念したものの、18日、一日市場公民館でお披露目された。昔を懐かしむお年寄りや、初めて見る親子連れなど100人ほどが集まった。保存会の千国寛一会長(77、明盛)は「地域の伝統をつなげるには、形がないと駄目。子どもの思い出もつながるのでは」と話した。

古老の記憶などを頼りに修理進め

高さ3.2メートル、全長2.8メートル、幅1.8メートルほど。2階建てで、車輪は4輪。4隅に角灯籠があり、「仙客来遊雲外嶺(せんかくきたりあそぶうんがいのいただき)」など、漢詩「富士山」(石川丈山)が墨で書かれている。ちょうちんや幕の新調など、100万円ほどかかったという。
安曇野市三郷明盛の三柱神社は、小笠原氏とゆかりがあり、屋根部分には小笠原家の家紋、三階菱の灯籠も付く。18日は一日市場公民館前でお披露目し、横笛、太鼓のおはやしが奉納された。
夜の舞台の製作時期ははっきりしないが、昼の舞台が1903(明治36)年に造られているため、保存会メンバーで市文化財調査委員会委員の小穴金三郎さん(75、明盛)は「同じ時期ではないか」と推測する。角灯籠の一つに「昭和42年」と書かれており、最後の曳行(えいこう)の年が分かる。
以前は、青年らでつくる「ひとひ連」が舞台を引いていた。1960~70年代ごろに若者が少なくなり、連は自然消滅した。80年ごろ、区の役員の声かけで、昼の舞台だけが復活。祭り経験者や子ども会育成会が曳行を続けてきたが、損傷が激しく改修することに。住民らに協賛金を募り、2000万円近くかけ、2019年に完成した。

子らのためにも曳行へ意気込み

その際、舞台庫の奥で眠っていた夜の舞台も見つかり、「夜の舞台も引きたい」という声が上がった。三柱神社を共有する二木(ふたつぎ)区では夜の舞台を1995年に24年ぶりに復活させており、小穴さんは「刺激もあったのではないか」とする。
昔の写真はなく、竹内齋(ひとし)さん(85)、丸山貢康(つぐやす)さん(82)の記憶を頼った。さらに、57年の「御柱復活にあたり」と書かれた資料が残されており、夜の舞台の絵が描かれていたことも大きな手掛かりになった。
修理を手がけたのは、百瀬建築(明盛)の百瀬久幸さん(57)。手すりの形が難しかったと言うが、「55年ぶりの復活に関わることができ感無量」と満足そう。小穴さんは「ちょうちんに入れるLEDを探すのが大変だった。大阪の業者からようやく取り寄せた」と振り返る。
復活した舞台を前に、竹内さんは「夜の舞台は若い頃、お酒をかなり飲んでから引いた。舗装されていない道もあったり、荒っぽく引いたりで、ろうそくの火が消えてしまい、いつも火の心配をしていた」などと懐かしそうに話した。
伝統をつなげようと、子どもたちがおはやしなどを月1回練習していたが、コロナ禍で休止状態に。小穴さんと保存会会長の千国寛一さんは「伝統が途絶えるのが心配」としながらも、地域の宝の復活を喜ぶ。「来年こそは曳行を」と意気込む。