松本の山本さん 脳出血乗り越え 左手で書に挑む

手本を見ながら一字一字、丁寧に書く山本武甫(たけとし)さん(79、松本市里山辺)。筆を左手に持つ。2012年、脳出血で右半身にまひが残った。右利きだった。
高校の時に書いた字を見て「また書けるかな」と、05年から始めた書道。通信教育でスタートし、後に知人に誘われ蛍雪書道会青柳教室(安曇野市堀金烏川)に通うようになった。
「続けることが大事」と、こつこつ努力し続けたが、脳出血で中断。倒れた後は、リハビリに書道を取り入れた。子どもの頃から好きだった絵にも挑戦。当初は左手で絵を描き、右手で文字を書いていたが、「右では細かい調節が難しい」と文字も左手にした。
「額や掛け軸にできるような、自分なりの文字を書きたい」。真剣に書道と向き合っている。

右手右足のまひ淡々と受け入れ

山本武甫さんは2012年1月、書道教室から自宅へ戻り、その日習ったことを復習し終えた時、異変を感じた。立ち上がった時に右に体が傾いた。体を起こしたが、再び倒れ、今度は起き上がれなくなった。妻の節子さん(79)は外出していたため、はって電話まで行き、自分で救急車を呼んだ。
全国転勤がある保険会社に勤め、松本でも勤務した。その時に知り合った節子さんと結婚、57歳で早期退職し、横浜市から松本へ移住した。
3年間はぶらぶらしようと思ったが、手持ちぶさたで、美ケ原温泉の旅館で働いたり、町会の役員を引き受けたりした。05年に通信教育で書道を始め、その後近所の知人の誘いで、蛍雪書道会青柳教室に通うように。6年間で四段の腕前になった。そんな時、病気で倒れた。
右手右足のまひ、言語障害─。右手は利き手だけに、体だけでなく、心のダメージも大きそうだが、山本さんはその状態を淡々と受け入れた。「病気の一つだと思っている」。節子さんも「愚痴は一切言わなかった。頭がしっかりしていて意思の疎通ができたので、大変ではなかった」と振り返るが、13年に転倒し、右大腿(だいたい)骨を折る大けがにも見舞われた。

勝手違う難しさ練習重ね六段に

「まひは完全に治らないと分かっていた。少しでも良くなればと思い、リハビリに取り組んだ」と山本さん。17年からは右手で書道に、左手で顔彩を使った絵画に取り組むようになった。
右手の親指と人さし指で、書道の筆を挟むように持つ。指が動かないため腕を動かし、勢いだけで書いていたという。デイサービス施設が毎月、絵と書を1枚ずつ飾ってくれたのが、大きな励みになった。「どんな絵を描こうか、どんな字にしようかと、毎月考えながら仕上げた。楽しみながらリハビリができた」
19年、書道教室に復帰する際、左手で筆を持つことにした。最初はぎこちなかったが、絵を描いていたことも助けになり、徐々に思うような字が書けるように。昨年末、リハビリを卒業すると同時に、絵筆を置き、書道に集中することにした。「左で書くと、はねるところが難しい。右と左では勝手が違う」と話すが、暇があると、それを克服しようと練習。今は六段になった。
「手本を見ながら、そこに個性を加え、自分なりの字を書きたい」と山本さん。上手に書きたいと願うが、どれだけ書いても「全て良し」という作品には、なかなか出合えない。「字を書くことが好き」。その思いを核に、これからも書き続ける。