【ガンズリポート】シゴトを語る #15 取締役営業部長・柄澤深さん

やる気が出る環境づくりを

営業部門のメンバーは9人です。その中で私は現場にも出ますが、全体の調整役。みんなのやる気が出る環境をつくったり、仕事のヒントを与えたりする役割もあります。
今年はスポンサー総数1000件という目標を立て、10月の時点で達成しました。J3で迎えたシーズンでしたが、「(J3に)降格したから、やめます」はあまりありませんでした。ご支援いただいているスポンサー企業の皆さまには、感謝しかありません。
私は、とりたてて取りえがありません。キャリアを振り返っても、今の立場が私でいいのかな?と思いますが、地域のことや、さまざまな業種・業態に詳しい自負はあります。
松本生まれの松本育ち。松本以外で働いたことはありませんが、大学進学でいったん県外に出た時は、地元に特別な思い入れはありませんでした。
意識が変わったのは1992年、大学1年の夏です。
サイトウ・キネン・フェスティバル松本(現セイジ・オザワ松本フェスティバル)の初回でボランティアをしました。地域の先輩方が仕事に取り組む姿に「こういう人になりたい」と思い、国内外を巻き込む盛り上がりに「ここって、いいところなんだ」と再認識しました。
それから地域愛が醸成され、「ここの魅力を、もっと魅力的にしたい」と松本商工会議所に入りました。
山雅との出合いは地域リーグ時代。2009年の天皇杯、浦和レッズ戦を見に行き、応援に「すごいな」と思いました。大の大人が、自分の街の名前を「好きだ」と叫んで、誇っている。地域貢献に結び付けられると、直感しました。
商議所の会報に応援コーナーを作り、14年のJ1昇格決定時には、記念パレードにも参画しました。
山雅の神田文之社長に声をかけられ、20年勤めた商議所からの転職を決め、尊敬する上司に伝えました。反対されると思ったのに「山雅に行っても、地域のためにやることは一緒だろ」と。自分でも「そうだな」と気づきました。16年に入社しました。
この地域はさまざまな業種・業態がバランス良く存在し、スモールビジネスもやりやすい。全体として地盤沈下は少ない所だと認識しています。
コロナ禍もあり、会社としての山雅は今、苦しい時期に直面していると思います。改めて、熱を持って真摯(しんし)に地域と向き合い、チームが再浮上するきっかけを、スポンサー企業の皆さま、ファン・サポーターの皆さまとつくるために、力を尽くしていきたい―と思っています。(おわり)