【小林千寿・碁縁旅人】#40 海外の生活

水回りの故障が続出のパリで借りていた部屋のすてきな室内

ネット記事を通じて女優の杏さんがパリにお子さんたちと移住した様子を読むと、私の海外の生活を思い出します。
私の初海外生活は1980年にニューヨークに半年。この時はマンハッタンの便利な家具付きの部屋だったので、簡単に生活ができました。
次の98~2000年の2年間がパリ十六区(パリの中心地)。家具付きの部屋の上、大家さんが日本の方でメンテナンスがよくてインテリアもかわいく、買い物も便利な場所で快適に暮らせました。
次の04~07年のジュネーブは物価が高く、部屋を探すのが大変でした。数カ月後に新築の総合マンションに滑り込みましたが、入居して驚いたのは1970年以降の建物には核シェルターの設置が義務付けられ、洗濯機は自室には置けず共有の洗濯室を日時を決めて使用するのが決まり。また、その時から家具はイケアで購入して自分で組み立てるのが普通になりました。
その次のウィーンでは想像を絶する部屋探しでした。
入居する条件にトリックがあり、例えば契約書に「ピアノ設置可能」。他のページに「1平方メートルに100キロ以上不可」となっていて、事実上、普通のピアノは置けないのです。オーストリア囲碁協会の面々が細かく契約書をチェックしてくれたので、難を逃れられましたが、本当にあちこちに罠(わな)のようなものがあって苦労しました。
そして女優の杏さんが住み始めたパリ。ここは約束の時間に遅れること、大家さんがあちこち壊れてもなかなか直してくれないことは普通。やっと直してくれても直(す)ぐに壊れることも日常茶飯事。どれほど、困ったり怒り心頭に発する思いをしたことか…。それでも慣れと生活の知恵で、何とか楽しく暮らせるようになるものです。
そして久しぶりに帰国した時に列車が10分遅れた謝罪のアナウンスに違和感すら感じる次第でした。ところが日本の生活に戻ると、今度は少しでも遅れたり壊れたりすると不満が。実は便利で正確な日本が特別なのです。
(日本棋院・棋士六段、松本市出身)