【ガンズリポート】J2再挑戦 松本山雅 期待と課題を聞く

サッカーの松本山雅FCは今年、2年目のJ3リーグに臨み、J2復帰を目指す。ここ数年の停滞から反転攻勢、飛躍の足がかりとなるシーズンにできるか? Jリーグから、地元から、山雅を見つめる人たちに期待や課題を聞いた。

勝利が活力源 肌で感じる
元選手・農業 髙﨑寛之さん(36)

プロを引退し昨年、山形村で農家になった。2016~19年に山雅でプレーしたのを覚えてくれている人がいて、栽培しているシロヒラタケを道の駅に持って行くと、「山雅、どうなるの?」「何で勝てないの?」と声をかけられた。僕に聞いても仕方ないんだけどね。
昨年は、ほぼ全試合をチェックした。サンプロアルウィンに行った時に気になったのは、ぬるい風が吹いていたこと。僕が選手だった時は、ひりひりした雰囲気を感じていた。
当時は反町康治監督。レギュラーでも練習からベストを出さないと、すぐに代えられた。試合には、チームで「絶対勝つ」と一体感を持って臨み、スタジアム全体もそういう雰囲気だった。
山雅のサポーターは温かい。練習でも「一生懸命やってるね」と声をかけ、ねぎらってくれる。もちろんうれしいけれど、「一生懸命」はプロのベースの部分。「頑張ってるね」はあいさつみたいなもので、結果で応えないと。僕は、点を取れば自分のおかげで、負ければ自分のせいだと情けなく感じていた。
地域の熱は、冷めるとなると早いと思うが、山雅にはみんな、まだ関心がある。負けた次の月曜は、雰囲気がどんよりする。一住民になって、山雅の勝利が生活の元気の源になっているのを、肌で感じる。改めてプロは「結果が全て」の世界だと思う。

劣勢の時も100%の応援を
トラスマツモト・サブコールリーダー 坂井香子さん

山雅の応援を始めたのは、JFL(日本フットボールリーグ)だった2010年。19年にサポーター組織「ウルトラスマツモト」のサブコールリーダーになった。
リーダーの応援をスタンドに広げるのが役割。土台となる声を出し、みんなの声を引き出す。頭の上で目立つように拍手をし、人の3倍動かす気持ちで腕を振っている。
昨季、山雅の応援はJ3で群を抜いていた。でも、まだやれることはあったと思う。最下位だったYS横浜とのホーム戦。“ほわん”とした雰囲気で入り、先制されると焦ってしまった。
逆にホームの信州ダービーは、昨季一番の雰囲気をつくれた。同点に追いつかれ、がっかりした空気になったけれど、すぐに「まだ行ける」と声が出た。
スタンドの端から端まで、観客で埋まっていたのが大きい。声が出せないエリアもたくさんの旗が振られ、応援に厚みが出た。今年は以前のように、お客さんに戻ってきてほしい。
「応援の力で点を取れた」という感覚を、何度も覚えた。個人的には、がむしゃらで泥臭いゴールが山雅らしくて、好き。1歩でも前に、1ミリでも高く、1秒でも早くと、選手の必死さを応援で後押ししたい。
劣勢の時でも100%の応援を引き出し、選手、ベンチ、サポーターのみんなで勝った|という試合が見たい。

ゲームの熱量が成長促す
Jリーグチェアマン 野々村芳和さん(50)

昨年5月、長野Uスタジアム(長野市)での信州ダービーを見に行った。僕は「サッカーの試合は作品だ」と話しているが、本当に素晴らしい作品だった。作品には三つの要素がある。ピッチのパフォーマンス、スタジアムのスペックや魅力、そしてサポーターがつくり出す熱量を含めた雰囲気。
僕が見た信州ダービーは、すごい熱量で選手の能力を引き出していた。ああいう試合の積み重ねが、選手を成長させ、クラブの将来につながっていく。集客というビジネスと、チームの強化は別物ではない─という自分の考えに、改めて確信が持てた。
北海道コンサドーレ札幌の社長時代、サンプロアルウィンに行くと、札幌の選手が萎縮するというより、山雅の選手の気持ちが乗っているのが分かった。アウェーチームに「勝てそうもないな」と思わせるのは、サポーターがつくる雰囲気だ。
山雅にはまだ、十分な熱量があると思う。ただ、ピッチのクオリティーを含め、J1の時の方がよかったと思っている人は多いだろう。いかに戻すかが、クラブの仕事になる。

集客への努力 リーグが支援

Jクラブ全体を見渡せば、地域でどのくらいプロモーション(宣伝)できているか、存在価値を伝えられているか─という部分は、まだまだだと思う。
住民の年齢層は、大都市部と地方で異なる。地方には、地上波など従来のメディアが届く人が、まだたくさんいる。昨年10月、先行して富山や福島など5地域で、サッカーを応援するテレビ番組を作った。4月と11月を比べると、テレビのサッカーに関する情報の露出量は、5地域の平均で66倍にもなった。
松本地域も一定の年齢以上の人が多く、その人たちに届けば、孫にも届くかもしれない。山雅は存在感があるクラブだと思うが、まだできることがあるはず。
一方、この10年ほどで、デジタルマーケティングのノウハウが蓄積された。従来メディアとのハイブリッドでやった方が、集客は伸びる。クラブはそこまで金や人を使えないから、Jリーグがサポートする。5地域から今年は全国に展開するべく、準備している。

子どもたちが憧れる存在に

Jクラブの存在感の根本はサッカー。J1であろうとJ3であろうと、地域の子どもたちが「ああなりたい」と思う存在にならないといけない。
例えば前田大然。J2だった山雅でプロデビューし、海外クラブでプレーし、W杯で得点した。「山雅が世界の入り口」というストーリー。選手には頑張ってほしいし、かっこよくいてほしい。
山雅がJリーグに入って10年余りたち、「あの作品がよかった」というのが、地域の人たちにそれぞれあると思う。クラブがビジョンを持ち、それをどう上塗りしていくか─。
信州ダービーは素晴らしかった。J3という舞台は不本意かもしれないが、他のクラブに勇気を与えるような作品だった。いつかJ1で見られる日が来れば、とんでもなく良い作品になるだろうな─という予感と期待を抱かせてくれた。

ののむら・よしかづ
1972年、静岡市出身。清水東高、慶応大を経て95年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)に入団。2001年にコンサドーレ札幌で引退し、チームアドバイザー就任。解説者としても活動した。13年に札幌の社長に就き、債務超過に陥っていたクラブを再建、J1に定着させた。昨年3月、第6代Jリーグチェアマンに就任。