
シンガー・ソングライター 山崎昌一(しょういち)さん 安曇野市
難病のパーキンソン病と闘いながら、ギターを手に平和や愛を願い歌うシンガー・ソングライターがいる。山崎昌一(しょういち)さん(58、安曇野市明科七貴)だ。
ヤマハポピュラーソングコンテスト(略称ポプコン)松本地区大会で優秀賞を受け、プロを目指したが断念。その後は仕事をしながらライブハウスで歌うなど、音楽活動を続けた。ボブ・ディランに憧れ、メッセージ性の強い曲を作るようになった。2015年ごろ、足に違和感を感じるようになり、16年で活動を休止。ライブから離れた。
26日にギャラリー&カフェ憩の森(松本市城山)で7年ぶりのコンサートを開く。体調と相談しつつ、戦争のない世界を音楽で訴える。「もう武器はいらない」と。
ヤマハポプコン松本大会で受賞
歌詞を書き、メロディーを作り、それを歌う。シンガー・ソングライター、山崎昌一さんの原点は、子どもの頃の経験だ。小学校時代の担任に、詩を褒められた。中学生の時は音楽の成績が良く、その二つが自信になった。高校生からギターを習い始め、曲も作り始めた。
松商短大を卒業後、東京で就職したが、父が事故で亡くなり、半年で安曇野市へ戻った。1986(昭和61)年、21歳で出たヤマハポプコン松本地区大会にギター1本で出場。「風の時代の真ん中で」で優秀賞を受賞した。仕事をしながらライブ活動を続け、東京・吉祥寺のストリートで修業を積んだこともある。プロを目指したが断念。その後は趣味として続けることにした。
「足がおかしい」。2015年、山崎さんは違和感を感じた。16年には引きずるようになり、パーキンソン症候群(パーキンソン病と似た症状の病気の総称)と診断された。自宅に音楽事務所「ストリートドリーム」を構えたのもこの頃だ。16年、尊敬するボブ・ディランのノーベル文学賞受賞を記念し、CD「春風のメロディー」を制作したが、同年の松本大でのコンサートを最後に、ギターを置くことにした。
それでも音楽から完全に離れることはできなかった。18年には、「ストリートドリーム」に集う仲間3人と10曲を入れたCD「STREETDREAM」を作った。動画投稿サイト「ユーチューブ」にも、昔の音源をアップした。
パーキンソン病体調と相談して
体調は悪いが、しっかりした病名が付かない。19年には痛みがひどくなり、入院した。腸閉塞になったり、ベッドから落ちたりし、ほぼ1年を病院で過ごすことに。最後の1カ月ほどは寝たきりだったという。
突然奇跡は起きた。寝たきりになって27日目。「生きようという気持ちが強く出た」と山崎さん。何とか動けないかと、体を動かしベッドの上に座った。そこからは「この野郎」という気持ちで、近くにあった車いすを目指して立ち上がり、ゆっくり歩き、そして車いすを押して移動した。「よく復活できた」
20年には指定難病のパーキンソン病と診断された。足の痛み、しびれはあるが、体調のいい時は、家の外でギターを弾き歌った。たまたま、向かいのギャラリーで展示会をしていたテラリウム作家、若林伸夫さん(67、安曇野市三郷明盛)の耳に入った。平和へのメッセージを感じ「今の時代、多くの人に聞いてもらいたい歌」と、7年ぶりのライブ開催を提案、実現へ向け行動を起こした。
体調と相談しながらだが、「うれしい」と山崎さん。病気や障がいがあり悩む人を励ましたいという思いも強い。そして「もう武器はいらない」などの曲に載せ、平和の大切さを伝える。復活の第一歩だ。
【ミニコンサート】26日午後1時、ギャラリー&カフェ憩の森(松本市城山)。入場無料。若林さんTEL080・5140・2239