【記者兼農家のUターンto農】#93 つなぐ産地(下)

消費者感覚が経営の支えに

「農業をやるつもりはなかった」と宮澤和芳さん(38)は10代の頃を振り返る。安曇野市三郷明盛の米農家に生まれたが、高校で野球に打ち込んだ後、上京し、スポーツインストラクターになるために専門学校に入った。
だが、東京の生活には違和感を覚えた。「一生、暮らすにはよくない。農業をしようかなと、ふと思い立った」という。二十代前半で戻ってきた。
若手が入った農家には、周りから農地が集まる。就農した2006年から20年足らずの今、田んぼだけで40ヘクタールを作り、畑も麦55ヘクタール、大豆30ヘクタールで生産する宮澤ファームの取締役という立場になった。
父親に言われたことをやることから始まった米作りは、自分なりのこだわりができた。「消費者に喜んでもらいたい。食べておいしいと言ってもらわないと」
食味コンテストに出品するのは、客観的な評価を知りたいから。本年度の「お米番付」に出した「ゆうだい21」は、以前おいしく作れなかった品種だ。「なに余計なことをやってるんだという目もある」。勝負の再チャレンジで入賞した。
同じくお米番付で入賞した北清水の清水久美子さん(45、松本市島内)も、二十歳前に実家を離れ、名古屋で暮らした。米作りを考えたことはなかったが、父親の作る米のおいしさは感じていた。
自分でしようと思ったのは、父親が亡くなってから。「一番おいしいお米の味が舌に残っている。なくなるのは嫌だった」
米を20ヘクタール、麦や大豆を22ヘクタールを耕す。土の状態を観察しながら、なるべく化学肥料を使わない土作りを図っている。仲間とアイデアを出し合いながら、今も父親と一緒に仕事をしている気持ちだという。「後は現場なんだよね」という父の口癖をかみしめながら試行錯誤している。
2人とも、一度は農業を完全に離れながら、今や大規模法人を引っ張っている。おいしさを求める消費者の感覚が支えになっている。