
県内のおいしいものを全国に
「私の焼くビスコッティは世界一おいしいと思っているが、安曇野に来て卵を地元産に替えたら、さらに更新した」
イタリアの伝統焼き菓子、ビスコッティがたっぷり入った容器を手に、自信にあふれた表情でこう語るのは、安曇野市三郷小倉に菓子工房「Sambo(サンボ)」を開いたパティシエの飯島三香さん(51)だ。
飯島さんは20歳で渡米、パティシエとして仕事を始めて30年の節目を迎えた。国内外の十数店を腕一本で渡り歩いた「放浪の菓子職人」だ。
安曇野の風景に一目ぼれして、とどまる決意をした飯島さん。「初めて自分だけの仕事場を持った。経験を生かし、安曇野の『いいもの』を発信したい」と期待を膨らませている。
国内外の十数店渡り歩き腕磨く
安曇野市三郷小倉の小さな山の麓。民家が密集している集落だが、日中でも人影はほとんどない。
パティシエの飯島三香さんが開いた菓子工房「Sambo(サンボ)」は、この集落にある農家の一軒家を借り、住居兼工房にリノベーションした。工房の広さは約25平方メートル。調理台のほか、オーブン、冷蔵庫など、「菓子を作るのに必要最低限のもの」だけを置いた。
1日の大半を、ロックミュージックが流れるこの工房で過ごす。「注文のある時はそれを作り、ない時も試作などをしている。ここに立っているのが一番落ち着きます」と笑顔を見せる。
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神奈川県出身。地元の高校を卒業後、米国の大学の日本分校に通ったのが縁で、本国の大学に進学するのを目指し、20歳の時に渡米。1年間、受験勉強に励んだが、目標はかなわなかった。
「何とかしなければ」と、選んだのがパティシエの道。短期間の「レストランスクール」に通い、基本的な知識と技術を身に付けた飯島さんは、当時、ニューヨークに1号店がオープンし、その後、世界的に有名になり日本にも支店ができたレストランで、パティシエとして働き始めた。
飯島さんは「子どもの頃から菓子作りは好きだったが、パティシエを目指していたわけじゃなかった」と苦笑い。「ニューヨークの店で働いたことで、今の自分の基礎となる柔軟性や自由な発想の大切さを学んだ」と振り返る。
27歳で帰国して以来、東京、神奈川をはじめ、長野県などの10店以上のレストランで「孤高のパティシエ」として実力を付け、2015年からは個人の屋号「Sambo」を名乗り、店のメニュー開発なども請け負った。
景観に一目ぼれ 地元食材も魅力
50歳になった節目の昨年、「バリバリと働けるのはあと20年。自分の店を持とう」と決意。場所探しで訪れた安曇野から眺めた北アルプスの景観に「一目ぼれ」し、昨年10月、現在の場所に工房を開いた。
「ここには、リンゴをはじめ、まだまだすばらしい食材が眠っている」と飯島さん。今後、菓子職人として歩んだ約30年の経験を生かし、農産物の生産者と消費者を菓子を通して結び付ける活動などのほか、「人間も安心して食べられる」ほどのドッグフードも開発するという。
飯島さんは「いろんな人の助けと縁があってこの場所にいるので、安曇野を中心に、県内のおいしいものを全国に広げていきたい」と先を見据える一方、「これまで、自分の直感を頼りに生きてきて、一つの場所に根を張れない性分。何年後かには、またどこかに行くかも」と笑う。
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