
被災地支援の絆 未来つなぐ光に
「僕は浅田さんの跡継ぎになりたいと思います」。先月、松本市内のレストランで開かれた集まりで、一人の大学生が決意を述べた。会場にいた約40人から、大きな拍手と歓声が起こった。
「僕」とは東日本大震災で母と妹2人を亡くした被災者で、今は都内の大学に通う新田佑さん(21)。出身は岩手県陸前高田市だ。
「浅田さん」とは、全国の自然災害の被災地で炊き出し支援を行うボランティア団体「炊き出し機動部隊みらい」のリーダー、浅田修吉さん(64、松本市宮田)だ。新田さんは浅田さんの仲間たちの前で、尊い意思を継ぐ後継者として名乗りを上げた。
突然の宣言聞きうれしさ半面…
浅田修吉さんの後継者になると決意表明した新田佑さんは、明星大(東京都)情報学部4年生。会場には浅田さんをはじめ、瑞松寺(松本市中央3)住職で、浅田さんと一緒に「みらい」をけん引してきた茅野俊幸さん、東日本大震災や2019年に長野市などを襲った「台風19号災害」の被災者で、災害の語り部として活動する人たち、みらいメンバーなど約40人がいた。コロナ禍のため集まるのは数年ぶりだ。
宴もたけなわのタイミングで、新田さんが突然「後継者宣言」をすると、拍手と驚きの声が上がった。
新田さんの言葉を聞いた浅田さんは、「そりゃ、うれしかったけど、そんな簡単なもんじゃねえぞとも思った」と、笑顔交じりの複雑な表情を見せた。
「経験を積んで」引き継ぐために
2011年4月。陸前高田市の避難所として使われていた福祉施設で、浅田さんと新田さんは出会った。
1995年の阪神淡路大震災以降、全国の被災地で炊き出しをしてきた浅田さん。「被災者のつらさは、黙っていたってよく分かる。話せば余計につらくなる」と、現地で被災者とはあまり会話をしないのが流儀だ。
しかし、東日本大震災は、被害の大きさから支援が長期化。浅田さんらを慕う被災者が話しかけるようになり、その中に新田さんの父・貢さん(59)がいた。
酒を酌み交わすようにもなり、「子ども(佑さん)の前で泣くのはもうやめた」などと素直な心境を明かすことも。父親の傍らにいた息子に「次の炊き出しで何が食べたい」と聞いた浅田さんに、「刺し身」と答えたのが、浅田さんと新田さんの最初の会話だった。
以後、二人は徐々に近づき、いったん支援に区切りを付けた2012年の正月以降も交流が続いた。成長するに従い、浅田さんの活動に「憧れ」を抱くようになった新田さん。大学では、SNS(交流サイト)を使った災害時の支援策などについて、学びを深めているという。
新田さんは「災害支援といっても、浅田さんたちのように目の前に来てくれないと」と感じている。
阪神淡路大震災で、炊き出しに「取り憑(つ)かれた」という浅田さん。災害のたびに「俺がやらねば誰がやる」と正義感に突き動かされてきたが、「65歳が潮時」とも感じていた。
その年に現れた後継者候補に「炊き出しは経験が重要。イベントなどに積極的に参加して」と、注文を付けた浅田さん。「被災者から『ありがとう』と言われるんだよ。誰かが続けなきゃ」。炊き出しに対する矜持(きょうじ)だ。