教職の傍ら歌い続けて50年「がばちょ山岸」

音楽と交流の場に喜び

「がばちょ山岸」の別名を持つ安曇野市堀金烏川の山岸豊さん(65)は、アマチュアのシンガー・ソングライターだ。中学生だった50年余り前、初めてギターを手に入れ、弾き始めた。高校の教員になってからも歌い続け、県内外で自作を披露してきた。今年3月で退職し、同じ趣味を持つ人たちと、交流会を立ち上げるという。第二の人生の大きな喜びがある。

「僕らはどこか遠くへ大事な何かを忘れて来たようだ」「夕暮れの用意」「時間が言葉に意味を与え」「次の場所へ行く幸せ」。フォークソング世代の心に響くような、こんな題名の曲を歌っている山岸さん。
半世紀前、シンガー・ソングライターの吉田拓郎さんらのフォークソングに刺激を受けた。「ギターは手軽に自分の思いを歌える」と、演奏を始めた。大学時代に仲間2人と組んだバンドは、メンバーの1人が亡くなる今年まで45年続いた。
職業は高校の国語教員だった。職場でもバンドを組み、文化祭でビートルズやサザンオールスターズなどの曲を披露した。25年ほど前の文化祭では演劇にも参加。以降、生徒たちからは役名で呼ばれるように。「がばちょ山岸」の誕生だ。
1年に1回くらいの割合で、幸運にも「降りてくる」というオリジナル曲は、自分の中に沈殿した心象風景が歌詞と曲に結晶している。それらを45歳で初めて1枚のCDにまとめた。
自身の曲を楽譜にしないのが、がばちょ流だ。歌詞も曲も「ギターを持つと、頭からするすると出てくる」からだ。

第二の人生も歌を楽しみに

60歳からは「還暦ライブツアー」と銘打って、全国へ出かけた。フェイスブックを活用して演奏場所を探し、北は福島県から、南は鹿児島県まで、ライブハウスやカフェ、野外ステージなどで320回以上演奏してきた。
「知らない場所で知らない人たちに自分の歌を聴いてもらう。緊張でうまく演奏できないこともあるが、拍手をもらうと達成感がある」
演奏先へは車で向かう。高速道路を使わず行くのも、がばちょ流。「急ぐこともないしね。この前は水戸から帰ってくるのに8時間かかった」。夫婦で、道の駅に寄りながら行って帰ってくる。これもまた、楽しみの一つだ。
各地に知り合いができた。「自分の歌を多くの人に届けたい-という人がたくさんいて、みんな信州で歌いたいって言うんだよ」
その人たちのために、交流の場をつくることが今後の人生のテーマにもなった。初回を27日に美鈴湖畔の「カフェピラータ」(松本市三才山)で開く。
演奏日程は、がばちょ山岸のフェイスブックで見られる。