
「日本の原風景」後世に残して
ソバ栽培を主力とした農業生産法人・かまくらや(松本市島立)は、同市四賀地区の保福寺町で2018年に始めた「棚田再生プロジェクト」を再スタートさせた。
米を商品の原材料として使用する企業などが、棚田のオーナーとなり、田植え、稲刈りをして収穫した米を買い取る制度。オーナー企業は、「棚田で育てた米」に付加価値を付けて商品開発をする一方、「日本の原風景」の保全という文化面でも一役買う。
コロナ禍で、ここ数年は思うような活動ができなかったが、今年から新たなオーナー企業2社が加わり再出発した。
5月20日には、棚田の再生と活用について学んでいる松本大(同市新村)の学生も参加し、田植え。実りの秋に「こうべを垂れる」ほどの豊作を期待している。
田植えに学生や新オーナーらも
松本市四賀地区の保福寺町の棚田で、5月20日に行った田植え。かまくらやの社員をはじめ、今年から棚田のオーナーになったあめ店、山屋御飴所(おんあめどころ)(同市大手2)の太田喜久社長(61)、福源酒造(池田町)総合企画部の平林聖子部長(63)と、松本大の観光ホスピタリティ学科向井ゼミの学生、地域づくり工房「ゆめ」で活動する学生ら、約50人が参加した。
参加者の中には、泥に足を取られて転びそうになったり、「腰が痛い」と顔をゆがめたりする人もいたが、計約60アールの田んぼにあきたこまちともち米の苗を手植えした。
松本大の学生が棚田再生に関わって今年で4年目。太田さんは、学生が棚田で収穫したもち米で商品を開発・販売した縁から、再生プロジェクトに誘われた。「江戸時代から、米あめを作っているあめ屋が、さらなるオリジナリティーを追求して原料の米から作るというのが面白いと思った」と参加した理由を語り、「景観保全という社会貢献にもつながる」と話した。
かまくらやに誘われて参加した平林さんは、「もう一度、豊かな土地に戻したいというこのプロジェクトの趣旨に共感した」という。「収穫した米は皆さんと相談して加工品にできれば。来年以降は酒米も育ててみたい」と期待を膨らませた。
参加企業増やし「観光」にも力を
四賀地区でソバや大豆などを栽培していたかまくらやに、地元の農家から「耕作放棄地になった田んぼをもう一度元に戻して」という依頼があったのは、2015年のことだ。
田んぼの数は約50枚、約4・5ヘクタール。「10年間はほったらかしになっていた」という田んぼは荒れ放題だった。一から開墾し、作物が育つようにはしたが、棚田は作業効率が悪く、時間ばかり食ってしまう。
当時、同社の常務だった藤本孝介さん(42)が「手に負えないかも」と、諦めかけた時に思い付いたのが「オーナー制度」だ。18年に、四賀地区で栽培した大豆を卸していた石井味噌(みそ)(同市埋橋1)に話を持ちかけ、オーナー制度がスタート。20年からは同じくみそ店の萬年屋(同市城東2)もオーナーになった。
今春、かまくらやの社長に就任した藤本さんは、棚田再生プロジェクトを地元企業、学生らと一丸になって取り組む事業と位置付ける。「棚田は地域の宝として後世に残さなければならない。今後、こうしたオーナー企業が増えてくれれば」。棚田周辺には空き家もあるため、併せて活用し「観光にもつなげたい」と意欲を見せる。