塗装業の3代目百瀬淳哉さん 新たな挑戦

塩尻市の百瀬淳哉さん(25)は、塗装業「モモセ塗工店」(宗賀)の3代目。周囲の同世代から「スマホやパソコンだけで稼げるよ」「なんで汗水流して働くの?」などと言われても、「職人」をやめるつもりはまったくない。一方で「職人を身近に感じてほしい」と、若者ならではのアイデアで、新たな挑戦もしている。

技術にプラスアルファを

おしゃれな店内を背景に、黒のTシャツを着た百瀬さんが立つ。袖口からのぞく筋肉隆々の腕が持つのは、塗料が入ったバケツとはけ。映画のポスターを思わせるチラシは今春、百瀬さん自身が画像生成AIを駆使して作り、約5000枚を松本、塩尻市などの家庭にポスティングした。
「これで仕事がもらえたらうれしいが、若者に塗装職人という仕事を知ってほしかったのが本心」と百瀬さん。塗装業に就いて7年ほど。「ようやく職人として認められたからできた」ことでもある。

同社は、祖父の金森富雄さんが創業した「金森塗装工業」が前身。現在は父で2代目の百瀬和太郎さん(48)が社長を務め、自身は副社長として、職人かたぎの父を補佐する。主にレゾナック(旧昭和電工)塩尻事業所(宗賀)の協力企業として、鉄骨や機械などの塗装を手がけている。
個人住宅の仕事は、年に数件と少ない。「工業用塗装は、特殊な技術が必要。その技術を個人宅でも生かしたかった」。チラシを配ったのには、そんな理由もある。
市内の東京都市大塩尻高校を卒業後、「何となく」父の下で働き始めると、周囲は当然のように百瀬さんを3代目として見た。「後を継ぐのがどういうことなのかなど、全く考えていなかった。周りの目に耐えられなかった」
1年後に泣きながら父に頭を下げ、「辞めたい」と訴えると、父は「継がせたつもりはない。好きなことをやれ」と言ってくれた。その後、外に出て、いろいろな仕事をして思った。「ものを作る塗装職人という仕事が楽しかった」と。
1年半後、家業に戻るため、再び父に頭を下げた。「次はないぞ」と受け入れられ、それからは、その背中を必死で追った。「仕上がりがきれい」「おまえならできる」。周囲の職人から、そんな言葉をかけられるようになり、自身の心にも確固たる「職人魂」が宿った。
祖父や父が手がけた塗装という仕事に育ててもらい、それを守り抜こうという気持ちは強い。「でも、もっとお客さんに親しみを持ってもらえる職人がいい」。父から学んだことにプラスアルファを加えようと、知恵を絞っている。