ラジオの修理と収集に没頭 松本市の久保田長利さん

ラジオが世界で初めて生まれたのは1900年。電波に乗せた音声の送受信に成功した。日本では1925(大正14)年に放送が始まった。松本市村井町南の久保田長利さん(67)は「その歴史を残したい」と、ラジオの収集と修理に取り組み続けている。
数年前までは鉱石ラジオや真空管ラジオなど、初期の頃のラジオが収集の中心だった。最近はラジオカセットレコーダー(ラジカセ)を主とした60~70年代のラジオへと、収集品や自身の修理技術の軸足が移っている。
「珍しい物も含めてけっこうな数が集まった」。コロナ禍になる前は、ときどきラジオの展示会を開いてきた。修理したラジオの種類が大きく変わってきたいま、再び開催を視野に入れ始めている。

自身のうつ病を機に、2007年からラジオの収集と修理を始めた久保田長利さん。「ラジオは鳴らなければ価値がない」と、手に入れたラジオは全て分解して洗い、古くて入手できない部品は自作。組み立てながら修理する。
「自身が収集したラジオを活用し、子どもたちの教育や町おこしなどにつながれば」と、これまで信州まつもと空港や山形村図書館などで展示会を開いてきた。
コロナ禍で展示会を控えていた間も、インターネットを通じて収集と修理は継続。「直す価値がある」と感じた物をネットオークションで購入し、修理してコレクションに加えた。資金にするために出品もしている。
そんな中、久保田さんからラジオを買った人が「米国から買った」とラジカセの設計図を譲ってくれた。ラジカセは電気回路が単体のラジオとは違うため、久保田さんには直せない物もあった。設計図が入手できることを知り、自身も海外から図面や部品を購入するようになった。そこから修理の幅が広がり、技術も向上してきたという。
最近は、全国から修理の依頼が来る。ネットオークションでも、レトロブームで興味を持つ人や、「若い頃憧れていたが、手が届かなかった」と発売時に高価だったラジカセを買う人、「家を片付けていたら祖父が使っていた物があった」と出品する人もいる。
「1日に何百というラジカセが動く。興味を持っている人は多い」と久保田さん。「コレクションが増え、珍しい物も集まってきた。以前の展示は初期ラジオ中心だったので、そろそろ次世代の展示会を開きたい」