「貞享騒動」文化財が遺産に

江戸時代の1686(貞享3)年、松本藩内で過酷な年貢の軽減を求めて起きた大規模な農民一揆・貞享騒動(加助騒動)。松本市教育委員会は昨年12月、「義民塚」(宮渕3)など市内5カ所の関連文化財を「貞享騒動の記憶」として、本年度の「まつもと文化遺産」に認定した。同遺産の事業は2018年度に始まり8件目だが、地区でなく広域を対象にした認定は初めて。
「義民塚」は、指導者の多田加助ら処刑された28人が葬られている。この付近に勢高刑場(臨時)があったとみられる。「出川刑場址(あと)の碑」(庄内3)は28人のうち11人が処刑された刑場付近だ。
加助らの助命を願い早馬で駆け付けたが、処刑に間に合わなかったとされる鈴木伊織の伝説に関わるのは「鈴木伊織の墓と伊織霊水」(中央4)と「駒町馬頭観世音」(城西1)。「泣き坂と別れ石」(島内平瀬)は、逮捕された加助らの一行が船で犀川を渡り、島内の高台から故郷を振り返った場所との伝承がある。
市教委文化財課は「貞享騒動というテーマで、点在している文化財を守り広く活用していくことが大事」と説明。義民塚の保存活動を続けている「義民塚を守る会」の二木馨三会長(78、安曇野市三郷温)は「騒動は農民にとって大変なことだった。それを伝える文化財を大事にしていきたい。認定を一つの契機に、若い人たちに引き継いでいく態勢を作りたい」と話す。
今後はパンフレットの作成や、関連文化財の見学会などを検討。市教委がこうした事業を支援する
貞享騒動に関しては、1950(昭和25)年に丸ノ内中学校の建設工事現場から遺骨が見つかり、2年後に「貞享義民顕彰会」が発足、義民塚を造った。同会は会員の高齢化などから2013年に解散。同年に参道整備などの事業に携わった関係者が「義民塚を守る会」を結成した。義民塚の清掃は丸ノ内中PTAも連携して行っている。