こうじ造り継承へ一念発起-小谷村・楢木さん家族が合同会社設立し1年

小谷村中土の清水山集落で、「楢木こうじ店」が営業を始めて1年が過ぎた。1996年に横浜市から移住した同集落の楢木宏美さん(60)が夫・晴朗(はるお)さん(68)、次女・歩(あゆみ)さん(27)と合同会社を設立、こうじ造りと、こうじを使った調味料や弁当などを製造、販売している。
楢木さん宅では20年近く自家用しょうゆを造ってきた。搾り師を通じてこうじ造りを依頼していた県内の複数の業者が近年、後継者不足などで廃業。代表社員の宏美さんは「困る人がいるし、当たり前にあった技術が受け継がれずに消えていくのは残念」と一念発起した。
宏美さんはこうじに興味を持ち自家用を手がけていたものの、本格的な製造経験はない状態で開業を決意。手探りながら周囲の応援も力に奮闘する。

続く廃業…技術守る家族の挑戦

2022年のこと。楢木宏美さんは、自家用しょうゆ造りに使うこうじ製造を手がけていた千曲市の醸造店が廃業すると聞き、「またか」と肩を落とした。以前に依頼していた東信地区の業者が廃業した時も残念な思いに包まれた。
千曲市の醸造店は、受け継ぐ人がいれば技術や機材を譲るという。自家製の持ち込み材料でこうじ製造も受注した数少ない業者だった。「丹精した大豆や麦を使ったしょうゆが造れずに困る人が出るし、技術の消滅は残念」。宏美さんは米こうじやしょうゆ用のこうじを自宅で造った経験があり、話だけでも聞こうと、夫の晴朗さんと同醸造店を訪ねた。
80代のベテランの店主と話をするうちに「奥さんなら任せられるかも」。晴朗さんは「こうじにちゃんと向き合っていると見抜いてくれたのでは」と回想する。「『じゃあ、やってみる?』という感じで。しょうゆ用こうじの製造を受け継ぐ覚悟で始めました」と宏美さんは振り返る。
しょうゆ用こうじの製造時期が既に終わったタイミングだったので、師匠と仰ぐ店主が製造する様子は一度も見ていない。製造の引き受け手がないと困る人がおり、師匠も高齢のため、待ったなしで自宅近くの空き家を購入。師匠からのアドバイスを基に製造施設と調理場に改修した。
大豆の洗浄や浸水に用いる特注の機材、大型のせいろ、室蓋(むろぶた)などを譲り受け、昨年2月には、完成した作業場で初めて師匠と一緒にしょうゆ用こうじを製造。効率的で体に負担をかけない作業の工夫も含め、実践的な技術を教わった。
現在、こうじ造りは夫婦が担当。大豆、小麦に種こうじを混ぜた後、室でこうじ菌を繁殖させる過程では温度管理に難儀する。米こうじに比べ、しょうゆ用のこうじは温度の変化が急なため、作業場に泊まり夜中に様子を見ることもある。かまどの湯は、基本的にまきで沸かす。昔ながらの手作業で、こうじの“顔色”を見ながら五感を生かし丁寧に造っていく。
調理師の資格を持つ娘の歩さんは「面白そう、という感じで、半分巻き込まれた」と笑う。幼少時から自宅でしょうゆを仕込んでいた記憶が残り、「いいものを次世代に残したいという点は、強く共感する」。自社製こうじを使った甘酒や調味料、弁当の製造などに当たる。キッチンカーでは生地に甘酒酵母も使った蒸しパンで具材を挟んだ中華バーガーなども提供。「こうじの使い方を広めたい」とワークショップも開いている。
県外も含む注文者からは「最初だから」と背中を押してもらい、「育ててもらっている」と宏美さん。昨年造ったこうじで注文者が仕込んで搾ったしょうゆの出来に、胸をなで下ろした。
地元の人たちからは、原料持ち込みの米こうじの依頼も入る。一つ一つの経験が身になる。反省もする。「大変だが楽しい。失敗してもやってみたことが、あの世への土産になると思う」。家族との挑戦が、熟成していく手応えを感じている。

【メモ】自社製しょうゆとみその量り売り会 毎月第2日曜(6月は9日でなく16日)、第4水曜の午前10時~午後4時、同店で。米こうじもある。しょうゆは1家族1リットルまで。瓶や容器を持参。予約可。詳細は同店のインスタグラムで。問い合わせは同店TEL080・5145・6855