【信大講座新聞をつくろう2024】伝統を守るための〝変化〟とは? 次代につなぐ深志神社天神祭り

本町二丁目の舞台と、舞台の課題や今後の展望を説明する山田さん

MGプレスが信州大全学教育センター(松本市旭)で開く寄付講座「新聞をつくろう!」。本年度受講した1年生20人が2~4人のグループで、それぞれ関心を持った七つのテーマを取材した。

松本市の深志神社で7月24、25日、例祭「天神祭り」が開かれる。この祭りは長い歴史を持ち、松本に夏の到来を告げてきた。祭りの目玉である「舞台」はおはやしとともに各町から神社に曳(ひ)き出され、人々を活気づける。しかし、近年は高齢化の中で曳き手不足、さらには舞台庫の耐震性などの悩みを抱える。

梅の御神酒や刺しゅうをあしらった御朱印
神社でさまざまな工夫も

祭りを次世代につなぐため、こうした課題にどう対応しようとしているか、神社と舞台の関係者に話を聴いた。
天神祭りは、同神社によると、松本藩主の小笠原忠真(ただざね)(忠政)が元和元(1615)年、豊臣氏が滅亡した大坂の陣で戦勝し帰陣した際、南深志の氏子に命じ舞台(山車)を造らせて社前に曳き入れ、神輿(みこし)2基の渡御(おでまし)を行ったのが起源と伝えられる。戦国の世が終わり、太平の時代の訪れとともに始まったとされるが、舞台の名称が表れたのは、元禄5(1692)年の文書の記録が最も古いとされている。
今も各町が保有する16基の舞台(松本市重要有形民俗文化財)が境内に勢ぞろいし、神輿が町内を巡る華麗な祭りとして知られる。
「氏子との世代、時空を超えた関わりを知ると、(祭りを)続けて良かったと感じる」
同神社の権禰宜(ごんねぎ)・大塚宗延さんは、何世代にもわたり氏子が一族の報告や決意を胸に神社に訪れる姿を見ると、「神社」が存在する意味があるとの思いを強くするそうだ。
しかしながら今、市民に長年愛されてきた天神祭りは大きな課題を抱えている。舞台の曳き手の減少だ。氏子町内の少子高齢化や、炎天下の中で着物姿で町を巡るという過酷さに加え、最近では薄れてきたものの町外の人をあまり受け入れない「排他性」も影響しているという。
祭りの伝統を守り次代へつなぐため、神社側はさまざまな工夫をしている。たとえば、天神祭りの刺しゅうをあしらった御朱印を用意したり、神社境内で取れた天神様(天満宮=菅原道真を祭る)に縁のある梅と地酒で造ったお神酒を造ったり…。
「天神様は『和魂漢才』という言葉を残された。その言葉をなぞるように連綿と紡がれる伝統を守るため、現代に受け入れられるように変えていかなければならない」と大塚さん。
その上で、こう言葉を継いだ。
「神道というものには経典がない。したがって、今の私たちがつくっていく必要がある。天神祭りを入り口として、若い人たちが伝統に思いをはせるようになってほしい」

曳き手不足、舞台庫の耐震性が課題
「存在」伝え市民などへ協力を

天神祭りで重要な役割を担う舞台16基。その中で、江戸時代の松本舞台の姿が再現された典型的な「深志舞台」といわれる本町二丁目の舞台について取材した。
祭りに勢ぞろいする舞台は、2001(平成13)年に女鳥羽川北の2基を含めて18基が「松本城下町の舞台」として、松本市の重要有形民俗文化財に指定された。1999(同11)年度の博労町舞台の修復を皮切りに、2013(同25)年度まで約15年かけて、すべての舞台を修復するプロジェクトが実施された。
本町二丁目の舞台は高さ4・7メートル、幅2メートル、奥行き5メートルの2階建て。初代の舞台は江戸時代中期ごろに建造された。現在の舞台は1934(昭和9)年に造られた。修復工事を行ったのは2010(平成22)年。舞台に新しいものを加えるのではなく、当初の姿を復元するものだった。
舞台の中には大太鼓、小太鼓が設置され、祭りの際には笛を含め合計8、9人でおはやしを演奏する。
本町二丁目の舞台修復の際、DVDに工事の内容を収録した山田善敬さん(73)によると、舞台は町ごとに所持し対抗意識があり、町の誇りとして大切にするとともに、住民同士が互いに関わり合える場でもある。
「舞台は松本が商業都市として栄えた証し。町の結束の象徴でもある」と話す。
課題もある。その一つは曳き手不足だ。人口減少、高齢化などによって舞台の曵行(えいこう)が難しくなっている。舞台を曳くのには前に20人、後ろに6人ほどが必要。特に曲がる際には、一度後輪を持ち上げなければならない。この課題の解決のために、臨時の車輪をつけることや、将来的に町外の市民に協力してもらうことも検討材料という。
もう一つは、普段舞台を納めておく舞台庫の耐震性だ。深志神社近くにある舞台庫は、現在の耐震基準を満たしていない。
山田さんは舞台庫を新しくする際は、舞台を展示できる構造にして、祭り以外の時も市民や観光客の目に触れられるようにしたいそうだ。市の文化財だから舞台庫の新設には補助金が出るとはいえ、自分たちの力で行うのが前提で、市民の協力も必要になる。市民の協力を得るためには市民に舞台の存在、祭りの存在を知ってもらうことが重要だという。その活動の一環で小中学生におはやしを教えている。祭り当日には神楽殿でおはやしの披露をするそうだ。
山田さんは「私たちには、地域で代々培ってきたものを継承していく役目がある」と話している。

取材を終えて

日下部月姫(人文学部) 松本に来て間もない頃、あてもなく駅前を歩き回る中で見つけた深志神社の真っ赤な鳥居にやけにひかれたことを覚えている。今回深志神社について取材できたのも何かの縁だと思う。これから4年間の大学生活を通して、松本の伝統についてもっと深く知っていきたい。
相馬大飛(経法学部) 深志神社の舞台を取材する中で、城下町で育まれた伝統的な文化の一端に触れ、また、その文化を後世に受け継いでいこうとする地域の方の思いや、活動を知ることができた。松本市の他の神社仏閣や伝統的な祭りについても興味を持つことができた。
松田岳大(工学部) 間違った情報を伝えないことが、新聞記事の作成で何よりも重要だと講座を通じて実感した。締め切りやモラルなど重要な要素はあるが、松本サリン事件を振り返る中で、記事で人を傷つけてしまうこともあるという話を聞き、精神面でも大変な仕事だと思い知るきっかけになった。
横田篤樹(人文学部)今回の取材は松本に来て間もない私がこの町を深く知り、第二の故郷とさせてくれるものだった。時間は重なり紡がれて存在する。私たちは一瞬しか見えないけれど、その一瞬の存在には悠遠の時間が重なっていること、そしてそれを次につなげなければならないことを実感した。