MGプレスが信州大全学教育センター(松本市旭)で開く寄付講座「新聞をつくろう!」。本年度受講した1年生20人が2~4人のグループで、それぞれ関心を持った七つのテーマを取材した。
私たちはスイーツに目がない女子3人。それぞれ他県から信州大に入学したが、松本でも気になるのは見た目が華やかな洋菓子や、SNS映えする飲み物だ。ところが大学の近くにあるのは、昔ながらの菓子店ばかり。少し残念に思いつつ食べてみると、そのおいしさに目からうろこが落ちた。老舗2軒を訪ね、地域の人たちに愛され続ける理由を探った。
【梅月】利益よりも交流大切に
信大松本キャンパスから南西へ約900メートル。バス通り沿いにある「梅月(ばいげつ)」(松本市北深志1)が営業を始めて112年が過ぎた。店に入ると、4代目店主の馬瀬由利子さん(60)が笑顔で出迎えてくれる。
1912(明治45)年、「梅月堂」の名前で初代店主がせんべいを作り始めたのが店の始まり。馬瀬さんの義父の3代目の頃は、和洋を問わず多くの菓子を作っていた。
しかし10年ほど前に3代目が亡くなり、前後して、その日の気温や湿度に合わせて材料の配合や作り方を変えるなど、菓子にこだわってきた職人も高齢に。自店で製造を続けるのが難しくなった。
「義父には『自分が死んだら店を閉めるように』と言われていた」と馬瀬さん。通りには菓子店が3軒あったが、ほかの2軒はすでに店を閉めていた。そんな時、馬瀬さんの元にお客からこんな声が届いた。「寂しいからやめないで」
古い店に興味を持つ学生も時折訪れた。不要な食器類を「ご自由にどうぞ」と店頭に並べたところ、空き家の活用を図る信大生のグループがもらっていったことも。お客の願いと「利益を優先しなくても、近所の人たちや学生さんとコミュニケーションができる場になれば、それでいいのでは」という馬瀬さんの思いが重なり、店を続けることにした。
今は、馬瀬さんがおいしいと思った菓子を、全国から仕入れて販売している。中でも人気は「あんバターどら焼き」(夏場は休止中)と、寒天と砂糖を煮詰めて固めた「花かずら」という京菓子だ。
2匹いる猫と遊ぶために、店を訪れるお客も多いという。「せっかく松本に来たのだから、寄っていって」と馬瀬さん。学生に向けて温かく呼びかけてくれた。
【万寿堂】 誠実な製法受け継ぐ味
「万寿堂」(松本市旭2)は、信大松本キャンパスから国道143号(旧善光寺街道)を南へ約450メートルの所に。創業は1923(大正12)年で、3代目の現店主、井上雅恵さん(68)の祖父が「自分で何か始めよう」と、長野市から松本へ出て店を開いた。
創業時は豆菓子を扱ったが、現在の松本キャンパスの場所が駐屯地だった旧陸軍歩兵第50連隊の兵隊を相手に商売をしようと、和菓子を作り始めた。週2回、多い時は数千個を連隊に納めたという「あんドーナツ」(140円)は、今は毎月25日に限り製造・販売している。
1番人気は、赤飯をまんじゅうの皮で包んだ「赤飯万寿(まんじゅう)」(140円)。もち米は佐賀県産のヒヨクモチを使い、もちもちとした食感と小豆の甘さ、皮の優しい味が調和している。はやりの洋菓子みたいに「映(ば)え」たりしないが、映え写真以上に「いいね!」を付けたいおいしさだ。
同店の和菓子は、その日に売り切ることを目的に朝から作り始める「朝生(あさなま)」が中心。全て国内製造の材料を用い、食品添加物は使わない。「技術より、とにかく材料で勝負」と井上さん。体への優しさは「赤ちゃんの体調が悪い時に母親が買いにきた」というエピソードがあるほどだ。
井上さんの父でもある先代の「1円でも安く、少しでも良い品質で、1グラムでも多く」という言葉を受け継ぎ、原材料が高騰して経営が苦しくなる中でも、多くの商品は2年前に10円値上げしただけという。
店独自のホームページやSNSでの情報発信はせず、固定客に支えられている同店。毎日心を込めて真面目に作った菓子が並び、それを近所の人たちが買い求める様子に、商売の“原点”を見た気がした。
取材を終えて
加藤楓(人文学部) 取材をする中で実際にお菓子屋さんの商品を食べたり、お店の歴史について聞いたりし、今まで知らなかった和菓子屋さんの魅力や、信大生や地域との関わりを知った。このような体験ができてよかった。お店が取材を快く受けてくれて、うれしかった。
伊藤花音(医学部) 単純に新聞を作ることは非常に楽しかった。実際に取材し、記事の内容を考えて書くのは大変だったが、とても貴重な経験ができた。取材の中で地域の人たちの話もたくさん聞け、自分が知らなかった松本について、少し知ることができた。
岡崎稟(工学部) 「スイーツ」を取り上げて記事を書こうと思っていたが、まさか信大の近くにある昔ながらの菓子店を取材し、新聞を作るとは思いもしなかった。しかし、何度も取材を重ね、読者の皆さんに読んでもらえるように記事を執筆したことは、とても楽しく貴重な体験だった。