【講演会聞きどころ】筑波大名誉教授・伊藤純郎さん 塩尻にあった「大陸の花嫁学校」

塩尻市の広丘地区平和学習会と市立図書館の連続講座「信州しおじり本の寺子屋」は、伊那市出身の筑波大名誉教授で日本近現代史を研究する伊藤純郎さん(66、千葉県)の講演会「桔梗ケ原の青春─大陸の花嫁と女子拓務訓練所」を市北部交流センターえんてらすで開いた。戦時中に現在の広丘野村にあり、「大陸の花嫁学校」と呼ばれた施設などについて、市民など約100人が聞いた。(8月11日)
1932(昭和7)年、日本は樹立した満州国へ満蒙(まんもう)開拓団、青少年義勇軍などの農業移民を大々的に送り込んだ。渡満した男性の配偶者となるべき女性や、少年らの生活指導役の寮母となる女性の訓練施設が、40(同15)年に広丘村(現塩尻市)に開設された「長野県桔梗ケ原女子拓務訓練所」だ。
崇高な理念をうたい、経費の自己負担もあったせいか、比較的教養が高く、親に財力があった人が入所したと見られる。開所をメディアが大々的に報じたため、全国から入所者が集まった。コースは1年の長期と1カ月の短期があり、いずれも厳しい訓練を課している。
ただ、長期1期生で修了後に渡満した12人のうち、開拓団員らと結婚したのは4人だけ。狙い通りの結果が出ておらず、むしろ国内各地の短期の講習会や、個々の開拓団が独自に開いた女塾などの方が結果を出している。
同時期に大きな成果を挙げたのが、画家いわさきちひろの母で松本市出身の岩崎文江(1891~1977年)だ。大日本連合女子青年団の主事や開拓士結婚相談所の所長として、5千人の「大陸の花嫁」を渡満させた。ちひろも最初の結婚後に夫の勤務地の満州に渡っているが、作品に満州を描いたものがほぼ見当たらない。母親の戦争協力に、胸中は複雑だっただろう。
訓練所は46(同21)年に廃止され、現在は跡地に標識柱だけが立っている。大陸の花嫁の中には、戦後の悲惨な引き揚げの逃避行で生死をさまよったり、残留孤児になったりした人もいるだろう。満州移民と女性の関わりは分からないことだらけで、さらに光を当てて調べたい。