半世紀経て輝く昭和の青春像
信州大の歴史編さんに当たる同大大学史資料センター(東城幸治センター長、松本市旭3)に、昭和期の卒業生、故関根倫雄さんの遺品が寄贈された。関根さんら当時の信大生4人が、南太平洋パプアニューギニア探検から持ち帰った現地の民具や地質調査資料などだ。
関根さんは1965(昭和40)年に入学。70~71年、仲間3人と地質調査を兼ねてパプアニューギニアを探検した。卒業後は水資源開発会社に勤めたが、93年飛行機事故に遭い、46歳で亡くなった。
30年たち、妻恵子さん(72、東京都)が「大学史研究の一助に」と、遠征関連の遺品を寄贈した。福島正樹センター特任教授(70)は「昭和の青春像がよみがえる」と注目し、詳しく調べている。
学生仲間3人とニューギニアへ
信大生時代、パプアニューギニアを探検した故関根倫雄さんは東京都出身。山好きで信大に進んだが、他大学で探検部が続々誕生したことに触発され、「信大探検会」を結成した。
沖縄・西表島などを探検後、「文明と隔絶した生活を見よう」とパプアニューギニア遠征を発案した。探検会は解散した後だったが、会に所属した学生3人が賛同。学内外の支援を得て70年11月、一行は勇躍横浜港を出港した。関根さん24歳、他3人も23歳か22歳という若さだった。
現地では密林と悪路、悪天候に悩まされた上、荷運びに雇った男たちに「賃金を上げないなら殺す」と脅され冷や汗もかいた。それでも立ち寄った村々では歓待を受け、共に飲んで歌った。ガスや電気、水道のない暮らしが新鮮だった。物見遊山だけの旅ではなかった。地質学専攻だった関根さんは現地の高山に登り、一帯の地質を調べた。
翌年3月、全員が無事帰国。体験談を土産に大学に凱旋した。遠征に参加した難波良平さん(76、東京都)は「関根さんの明朗快活な人柄と統率力なくして遠征成功はあり得なかった」と懐かしむ。
筆まめだった関根さんは現地滞在中、紀行文を書いては写真と一緒に国際郵便で信濃毎日新聞社に送稿。71年1月25日から4月3日にかけて計14回、「こんにちはニューギニア信大遠征隊記」というタイトルの連載で紙面を飾った。
貴重な現地資料大学史の一部に
弓矢、装飾品、地図、写真、鉱石標本。関根さんが持ち帰った段ボール5箱分の品は、妻恵子さんの手で半世紀ぶりに母校に渡された。
福島正樹特任教授はその中に、現地での行動と地質データを綿密に記録した関根さんのノートを発見。「これで一行がどこで何をしたか、どこの地質を調べたのか分かる。故人が果断な探検家で、かつ優秀な科学者だったことも浮かび上がる」と喜んだ。
センターはこれまで、寄贈品の分析や関係者への取材を重ね、「信大の成り立ち」「野尻湖発掘を支えた信大の人々」などの研究成果をホームページや展示会で発表してきた。
福島特任教授は関根さんの遺品についても「信大の地質学研究の系譜も把握できる貴重な資料。学生の海外探検も信大の歴史の一部だし、民具も民族学の資料として学術的価値を備えている可能性はある」とみている。
【信州大大学史資料センター】 信大と前身校の歴史関係の資料の収集、保存、展示などを目的に、2017年4月設立された学内機関。「信大百年史の編さん」「自校史教育の更なる充実」を目指し、資料や情報の提供を求めている。10月16日まで信大図書館で「赤レンガ倉庫の考古資料」展を開催中。