[創商見聞] No.99 チーズバー「ラ・メゾン・ド・ジョー」 (上條 晃)

チーズと触れ合う豊かな時間

かみじょう・あきら】49歳、松本市寿出身。国際観光専門学校熱海校国際ホテル学科卒。ホテル勤務を経て、2001年に東京・代官山のRestaurant PACHON入社。フランスチーズ鑑評騎士(14年)、ソムリエ(03年)などの資格を取得。12年12月創業。

CheeseBar La Maison de Jo

チーズバーラ・メゾン・ド・ジョー

松本市大手3丁目4−22 ☎0263-32-1855 

―チーズと熱海
 グラタン、ドリア、チーズフォンデュ、お弁当にはキャンディーチーズや裂けるチーズ―。1980年代初頭が私の保育園や小学校時代になるのですが、いち早く母が家庭にチーズ文化を持ち込んでくれました。〝チーズファミリー〟は中学、高校と続き、大好きでした。
 高校を卒業する直前まで、全く進路が決まりませんでした。最終的に就職を希望するのですが、なかなか決断できません。ある時先生から「働きながら行ける専門学校がある」と提案されました。ホテル委託生徒制度というものでした。静岡県の伊豆や熱海を中心に、働きながら専門学校の卒業資格を得られる制度でした。
 その場で一気にホテルマンへの憧れを抱いたのを覚えています。両親を説得し、熱海に行きました。
 伊東小涌園(静岡県伊東市)に配属されました。朝、仕事をしてから学校に行き、夕方も帰ってから働くという生活で大変でしたが、「この2年で何かをつかめる」という期待感がありました。
 講師は一流ホテルなどで仕事をしていたOBの方が多く、強い影響を受けました。卒業後は3店舗でホテルサービスを経験しました。
―繁華と混沌の日々 
 ホテル仲間の紹介があり、東京・代官山のフレンチレストラン「パッション」で、2001年から働き始めました。
 フランス人のオーナーシェフ、アンドレ・パッションさんが営むレストランで、絶大な人気を誇る店でした。連日連夜、著名人などが訪れ、日々「繁華と混沌」が交差していました。
 自分から仕事を取らないと〝あいつは見込みがない〟と言われる世界なので、割り込んででも率先して仕事を受けることが大事とされていました。まだ一人前とは言われておらず、知識もないのに、オーダーを奪うように受けました。
 ワインが分からなくても適当に話を合わせたり、外国人の英語を理解せずオーダーを受けたり…。本当に何度も失敗を繰り返しました。先輩から叱責されますが、そのうちに何も言われなくなって一人前になれたと思います。
 でも、そこでチーズに再会し、ワインとも出合い、サービスを極めたいと感じました。若手の仕事にワゴンチーズの片付けがあるのですが、そこで「あのブルーチーズはどんな味だろう」「あの熟成チーズのルーツは」と関心が高まりました。
 場慣れしてくると「フランスで食べたあのチーズある?」「もっとくせの強いチーズを食べてみたい」といったお客さまのリクエストにも応えたくなってきました。幼少期に触れたチーズ文化をさらに深める楽しさもあり、探究心が芽生えました。
 02年にチーズプロフェッショナルの資格を取得、店のチーズ責任者になり、仕入れから管理までやれるようになりました。

店名を直訳すると「ジョーの家」。レストラン時代のニックネーム、カミジョウの“ジョウ”が由来

―楽しき日々でも 
 「繁華と混沌」の渦の中で、少し息詰まり、一時期仕事を離れ帰郷しました。別の仕事を探した時もありましたが、うまくいきませんでした。
 また創業に怖いイメージを持っていたので、独立心はありませんでした。でも仲間から「自分にしかできないことをやった方が良い」と励まされ、創業するイメージが高まり、再び代官山の店で勉強し直しました。
 11年にあらためて帰郷し、創業の準備を進めました。でも松本商工会議所の創業指導は、大変厳しかったです。最初は普通にチーズを売る仕事で創業計画書を作り持ち込みましたが、担当者から計画の甘さを指摘されました。
 半年ほど気持ちがへこみ、立ち直りに時間がかかりましたが、今の「チーズバー」という店のコンセプトを練るのに、良い準備期間だったと思います。創業計画がまとまり、家賃補助、利子補給、融資のあっせんなど支援を受けて12年12月25日に創業しました。
―続けることの価値と難しさ
 オープンからすごく苦しい日々だったわけではないのですが、かといって楽でもありませんでした。良い売り上げを出せたのは創業して7年後の19年です。毎日席が埋まるテーブルを見て、お店が求められている実感が湧きました。
 これからもっとやれると感じていた時、コロナ禍となり、状況が一変しました。客数激減、当然在庫を調整します。熟成チーズが中心なのでおおよそ2年前から仕入れるのですが、だいぶ廃棄もしました。仕入れ量を調整しても、同じクオリティーは保たないといけない。本当に厳しい日々が続きました。
 でも徐々にコロナ緩和が始まり、松本地域も国内外から観光客が回復し始めました。この観光客獲得とクオリティーの維持・向上を目指すため、松本商工会議所に相談し、小規模事業者持続化補助金の申請をしました。販路開拓やクオリティーを保てたおかげで、少しずつ回復しつつあります。
 正直、ここまでとても大変でした。でも、松本市でフランス産の熟成チーズとワインだけを提供するバーは、自分しかできない、続ける価値があると信じて、12年続けてきました。
 熟成チーズバーは、なくても誰も困らない。でも、この店と触れ合うことで、人生が豊かになって引き立つような存在になりたい。
 創業時から理念として持っている考えです。価値を決めるのはお客さまだと思いますが、価値を高めるのは店だと思う。これからも日々研鑽していきたいです。(聞き書き・田中信太郎)

自家熟成チーズ盛り合わせやグラスワインから楽しめる