
あがり症改善したものの
相撲だけでなく、巡業などで禁じ手を面白おかしく紹介する伝統芸「初っ切(しょき)り」を担当し、土俵を沸かせた郷土力士・高三郷。その「闘いの記憶」は、今も幕内で活躍する北勝富士とのただ一度の対戦。良くも悪くも自身の相撲が凝縮された一番だったという。
2015年9月場所(東京)13日目。幕内、十両、幕下(以下は本場所の取組は7番)に続く三段目で東7枚目の高三郷と東36枚目の北勝富士(当時のしこ名は大輝(だいき))は、ともに6連勝で最終7番目で顔を合わせた。元学生横綱の北勝富士は、その年の3月場所で初土俵を踏んだ期待の新人だった。
取組は、立ち合いから一気に攻められた高三郷が土俵際で捨て身の左小手投げを打ち、物言いがついた。取り直しの一番は「たぶん、あっけなく負けた」と和木。
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14年4月の春巡業中、在籍していた東関部屋の部屋付きの親方に「初っ切りをやってみないか」と勧められ、快諾した。あがり症のため取組中は頭の中が真っ白になり、考えた相撲が取れずにいた。「初っ切りは土俵上で10分もの間、大勢の観客の『笑い』を取らないといけない。度胸が付くと思った」
狙いは的中した。翌年に自身初の6連勝。翌々年の7月場所で自己最高の幕下16枚目まで上がった。「初っ切りをやっていなかったら、絶対にあそこまでいかれなかった」と振り返る。
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北勝富士との取組に戻る。特に取り直しの一番は「まったく覚えていない」と和木。初っ切りがあがり症の改善につながり、好成績を挙げていたが、完全には克服できていないことを思い知った。
自己最高位の場所は3勝3敗で7番目に臨み、元十両の徳真鵬と対戦。200キロを超える巨漢を相手に何もできず、負け越して「完全に心が折れた」。以後、周囲の励ましもあり2年近く現役を続けたが成績は振るわず、18年5月場所で引退した。
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「現役時代は満足6割、関取(十両以上)になれなかったなど悔いが4割。今でも相撲は大好き」と和木。土俵を下りても相撲に関わりたいと、土俵設営などを手がける滋賀県の会社に就職して約6年がたった。「相撲の表舞台と、舞台裏の両方に立つことができて幸せ」と笑顔だ。
ただ、中学を卒業して角界入りし、20年近く相撲しか見てこなかった元力士は「そろそろ違う風景を見てみたくなった」とも。まだ30代半ば。勝負の世界で初っ切りというエンターテインメントもこなしたその目に、別の景色が映ったとしても不思議はない。<文中敬称略>
【わき・かつよし】1990年生まれ。しこ名は出生当時の三郷村(現安曇野市)から。三郷中卒業後、母親の知り合いが後援会員だった東関部屋に入門し、2005年3月初土俵。初っ切りは14年春巡業から4年間、勝武士(しょうぶし)さん(20年5月に新型コロナで死去)とのコンビで担当した。通算成績は275勝271敗(79場所)。大津市在住。