歴史ある建物「心の故郷に」
くぐり戸を抜けて目に入るのは、いろりとその煙でいぶされた太いはり。築250~300年ほどと伝わる、小谷村千国乙のJR南小谷駅近くの古民家を改修した「お食事処(どころ)紀柳(きりゅう)」は、開店から1年が過ぎた。昔ながらのかまどでの炊飯体験が楽しめる店だ。
バキッ、パチパチ、フーッ。まきを割る音、燃やす音、火吹き竹で空気を送る音。土間のかまど周辺はにぎやかだ。羽釜のふたを開けると「わあ」、つやつやのご飯に「おいしい」の声が沸く。
数年は空き家だった父の生家で体験型飲食店を始めた西澤紀子さん(59、長野市)は、古民家に響く幸せな音に心が満たされる。歴史ある建物の今後に悩み、残され伝わるものを生かし自分らしい維持、活用に動いた。
築300年ほどとも守り継がれた家
小谷村千国乙の「お食事処紀柳」の建物は、長野市の中村尹俊(ただとし)さん(86)の生家だ。寄せ棟造りで約235平方メートル。記録はないが、中村さんが家族から聞いた話などによると、少なくとも江戸末期には存在し、築250~300年ほど経過しているとも伝わる。飲食店として活用する主屋と隣接する土蔵は、文化審議会が国の登録有形文化財にするよう文部科学大臣に答申している。
中村家はかつては造り酒屋を、中村さんの祖父と中村さんの代では新聞販売店を営んだが、1971(昭和46)年の村を襲った自然災害を機に、家族で長野市に移住。その後は叔母や弟がこの家に住み、中村さんも頻繁に訪れて維持管理を続けた。だが、2020年に弟が他界。売るか、貸すか、つぶすかー。大切に守り継がれた家の行く末に悩むも、簡単に答えは出せなかった。生まれ故郷を離れて半世紀以上。気持ちはいつでも小谷に向いていた。
「いろんな人が気軽に、入れ替わり立ち替わり訪れた家だったという。父が元気なうちに、そんな家の姿を見せてあげたい」。長女の西澤紀子さんは6歳まで村で育ち、この家にもなじみがある。「接客が好き」という思いも後押しし、一念発起して飲食店を開業。営業日は父母と長野市から通い、家族で切り盛りする。
「日本人であれば、昔ながらのおいしい炊き方でご飯を食べたいはず。自分もそうだから」。必要最低限の改修で昔の趣を大切に残した古民家で、今では貴重なかまどでの炊飯を体験し、ご飯のお供と味わう形態は観光客にも好評だ。駅に近い立地から、直通の特急あずさで首都圏から日帰りで来る人もいる。
観光客にも好評感謝の気持ちで
海外客も多く訪れる。香港在住のストーリー海さん(13)は「自分で炊くとおいしく感じる」。父母や、一緒に訪れたシンガポールの友人家族は「この建物の雰囲気がまたいい」と、お代わりを繰り返した。
土蔵に大切に保管されていた輪島塗の膳とわんで、料理を出すプランもある。西澤さんは、先祖が大切に残した建物や道具があるからこそ営業できることに感謝。改修に当たり、父が祖先から伝承した目からうろこの知恵や知識に驚き、「受け継いでいかなければ」との思いを強くした。
「祖父母世代が懐かしみ、孫世代には新鮮な体験。3世代で来店してほしい」と西澤さん。中村さんは、地域や家の歴史などを話し出すと止まらない“語り部”として店に出る。その表情は当主としての自覚に満ち、「『心の故郷』に来たような気持ちになってもらえたら、娘が家を活用した意味があると思う」。母の一二美さん(84)も装花や食器洗いなどで協力し、奮闘する娘をもり立てる。
営業は金~月曜の午前11時~午後4時(月曜は2時)。1人3500円。2日前の午後2時までに2人以上で要予約。冬季は休業。詳細は同店のインスタグラムに。TEL0261・88・0885