【闘いの、記憶】冬季五輪モーグル5大会連続入賞 上村愛子さん(44、白馬村育ち)

「一段一段…」成長の証し

1998年の長野大会から冬季五輪に5大会連続で出場し、すべて入賞したフリースタイルスキー女子モーグルのレジェンド。実力に加えて愛らしい笑顔が人気を呼び、競技の発展に貢献した。現役引退から10年以上たったヒロインの「闘いの記憶」は、メダルにあと一歩届かなかった2010年バンクーバー五輪。
「なんでこんな一段一段なんだろう」と涙した姿は、今も記憶に新しい。が、その言葉は彼女の中で、今では180度違う意味に上書きされているらしい。

07~08年シーズンに日本人モーグル選手初のW杯年間総合優勝を果たし、09年の世界選手権でモーグルとデュアルモーグルの2冠を達成。バンクーバー五輪には、まさに脂が乗った状態で臨んだ。
ターン技術が他の選手と比べて卓越していたため、迎えた五輪シーズンで、その評価が点数に反映されにくくなったという、一抹の不安はあった。しかし、「どう転んでも、メダルがこぼれ落ちることはない」という自信が、揺らぐほどではなかった。
予選5位で臨んだ決勝。「今でも鮮明に思い出せる」という、限界まで攻めた滑りでゴールし、その時点の順位は2位で残りは4人。全員が滑り終えての結果は、自身の五輪最高順位となる4位だった。
それまでの五輪3大会の順位が頭に浮かんだ。「ジャンプアップするつもりで必死で頑張った4年間だったのに、また一つしか上がらなかった」。そして口を突いて出たのが、先の一言。泣きながら発したこの言葉を「当時は悔しさの爆発だった」と振り返る。

実は現役時代は「勝負の前にふと不安が頭をもたげ、それをすぐに押さえ込んでいた」という。大きな大会になればなるほど、不安も大きくなったが、「自分が着たよろいの中に封じ込める」ことを繰り返した。バンクーバー五輪でも、決勝のスタート直前に「もしメダルが取れなかったら…」という不安に駆られていた。
「不安なんて持たなくてよさそうなのに、怖くなる自分がいた。それを『隠したい、隠したい』と戦っていた。本当は不安と対峙(たいじ)し、理解しなければいけなかったのに」と上村。「バンクーバーの後は、それができるようになったんです」と笑う。

約20年間の現役生活は、常に競技の先頭に立ち、脚光を浴び続けた。「バンクーバーの経験のおかげで、初めて自分にプレッシャーをかけずに、達観した気持ちで臨めた」というソチ五輪を最後に引退し、現在はメディアに出演しながら「みんなの先輩」としてモーグル選手を外部からサポート。母校の白馬高スキー部の臨時講師なども務める。
「一段一段…」の言葉の、現在の解釈は?「4年ごとに成長した証しだと思う。よく一段一段上れたなと。この20年は、これからの人生の宝物です」。その“愛子スマイル”は、当時より輝きを増したように感じた。<文中敬称略>

【うえむら・あいこ】1979年生まれ。兵庫県出身。小学1年から白馬村で暮らし、白馬中2年時にアルペンスキーからモーグルに転向。白馬高1年時の96年3月にW杯初出場。冬季五輪は長野7位、2002年ソルトレークシティー6位、06年トリノ5位、バンクーバー4位、14年ソチ4位。同年に現役を引退。スポーツビズ所属。