大町市と富山県を結ぶ立山黒部アルペンルートにある黒部湖(黒部ダムのダム湖)を航行した遊覧船「ガルベ」が11月10日、今季限りで運航を終えた。客数の減少や船体の老朽化などが理由で、「日本一高所の遊覧船」は初代「黒部丸」から通算55年間の歴史に幕を下ろした。その日を迎えた乗船客や関係者らの思いを、写真とともに紹介する。
「お疲れさま」思い出振り返り
遊覧船は6~11月、近年は1日8便が黒部湖を約30分かけて周遊した。ガルベは黒部丸の後を引き継ぎ、2000年に就航した。
9日は「さよならコンサート」で、大町市が拠点の「信州アルプス交響楽団」のメンバー4人が船着場の待合室で四重奏を披露。午後2時出航の便はメンバーが乗り、いつもより速度を落としエンジン音を抑えた船室で、黒部ダムにゆかりがある曲などを奏でた。
運航会社「関電アメニックス」(大阪市)社員で、バリトン歌手としても活動する羽渕浩樹さん(50、大町市)が乗組員にふんし、突如歌い出すサプライズも。乗客と長年運航した船体を癒やす音色が、エンジン音とともに響いた。
バイオリンを演奏した同楽団代表で信州大OBの嶋田雄紀さん(29、滋賀県)は引退に花を添える役に「こんな機会はなかなかない。光栄です」。
◇
ラストラン当日の10日。一番乗りで午後3時発の最終便のチケットを購入したのは、今夏に初めて乗船したという札幌市の大学生・津久井雄太さん(20)。「ダムの堰堤(えんてい)を湖面から眺め、黒部湖の最深部に向かいながら両岸の山々を見上げることもできなくなる」としみじみ。
22年まで通算12年間、ガルベを操船した鈴木純子さん(55、大町市)は現在、他部署に勤務するが、最終日は2便で船長を務めた。「『船を降りたくない』と泣いた、幼い男の子が思い出される」と懐かしみ、自身最後の運航では「さようなら」を意味する5回の汽笛を黒部峡谷に響かせた。
歴代船長らも最終便見送る
最終便出航前のセレモニー。ファンがガルベを描いた鉛筆画や写真、イラストなどを運航関係者にプレゼントした。歴代船長らも集い、黒部丸の船長だった遠藤久雄さん(76、同市)は「(最後まで)安全運航で頑張れ!」と、手を振って船出を見送った。
筑北村坂北の宮入若菜さん(41)は最終便に子ども3人と乗船し、「白い波を引きながら走る姿が大好きだった。夏はデッキで受ける風が気持ちよく、コバルトに輝く湖面が美しかった」。次女の七恵さん(8)は「ぶるぶるする振動や燃料の臭い、景色を感じたり見たりができなくなるのはさみしい」と惜しんだ。
最終便の船長を務めた大蔵春美さん(59、大町市)は最後の船内アナウンスを終え、あふれそうになる涙をこらえながら「先輩方から引き継いで55年間、事故なく安全運航できたことを誇りに思う」としんみり。「ありがとう、お疲れさま」とガルベをねぎらった。
◇
12日は重量11トンの船体を湖面からつり上げる作業が行われた。移動式の75トンクレーン2台で引き上げ、ダムの堰堤上に降ろした後に格納庫へ。例年11月に運航を終えるとつり上げられ、翌春まで“冬眠”に入るが、今回は再び湖面につり下げられることはない。船体は来春以降に解体されるという。
黒部丸の時代から船体のつり下ろしとつり上げを担当してきた大永重機建設(松本市白板2)の野口新司社長(58)は「さみしいが、大きな船を扱う貴重な経験をさせてもらった」。春と秋の風物詩「空飛ぶ遊覧船」も今回が見納めだ。
「黒部ダムの当たり前の風景の一つだった」。そう言って涙ぐんだのは、仙台市から訪れたダム好きの羽賀文子さん(53)。ガルベのラストランからつり上げまでを見守り「これで本当にお別れ」。格納庫の扉が閉まるのをじっと見つめていた。