日本料理店で修業中の板前・長谷川雄大さん 家業継ぐ道捨て憧れの世界へ

松本市の長谷川雄大さん(29、石芝)=写真右=は、日本料理店「満まる」(大手4)で修業中の板前だ。実家は紙箱などを作る製造業者だが、家業を継ぐ道を捨て、料理の世界に入りおよそ2年。いずれ自分の店を持ち、飲食店を営む夢に向かい、精進している。

「中途半端許されない」

冷え込みが厳しくなった師走の午前中、長谷川さんは師匠で同店店主の増田崇宏さん(42)=写真左=が見つめる中、旬の「香箱ガニ」を手際よくさばいていた。日本料理の花形の一つ「お造り」を除き、調理をほぼ任されている長谷川さんは「毎日が勉強。こうした環境を望んでいた」と充実した表情だ。

期待を自覚して葛藤

地元出身。高校までサッカーに打ち込んだ。岐阜県の大学に進学し、その時点で祖父が創業したパッケージ・紙器総合メーカーPIP(島立)の3代目社長に―という自覚が生まれた。しかし胸の内にはいつからか、飲食業への憧れが芽生えていた。
曖昧な気持ちを振り切るように、卒業後は家業の修業のため名古屋市の会社で働いた。しかし飲食業への思いを捨てることができず、1年で辞めた。韓国料理店に就職したが、半年で倒産したため帰郷してPIPに入社。2代目の母の下で働くことになった。
母が、祖父から自分への“つなぎ”として社長を引き受けたことや、「継いでほしい」という思いは痛いほど分かっていた。が、4年ほどたっても飲食業の夢は諦められなかった。母に気持ちを正直に伝え、「大反対されたが、わがままを押し通した」。
同社を退職し、松本市内の居酒屋でアルバイトを始めた。そんな時に知った「満まる」の、増田さんの立ち居振る舞いや料理に感動し「ここで学びたい」。希望はタイミングよくかなった。

店開く夢見て腕磨く

「飲食業への憧れは『自分の店を持つこと』。料理人にそれほどこだわりはなかった」と長谷川さん。入店時に増田さんに「1年間だけ」と伝えた。ところが修業を始めると、味わったことがなかった料理の奥深さに、考えが変わった。「今はじっくりと腰を据え、板前修業をさせてもらうべき」
自身も若い頃は「形態を問わず自分の店が持ちたかった」という増田さんは、長谷川さんの気持ちを理解し、「お客への接し方もうまく、飲食業に向いている。あとは料理人としてどこまで腕を上げるか」と見守る。
長谷川さんは「わがままを通して選んだ道。中途半端に終わらないように」と覚悟を決めている。