古里のジャズの輪広く熱く
東京の一流ジャズクラブでのライブ公演など、輝かしい演奏歴を持つジャズピアニスト宮沢克郎さん(68、東京都渋谷区)が、故郷の松本市で精力的に演奏活動を展開している。
きっかけをつくったのが「お堀と青木カフェ」(城東2)。今年は6、10、12月、ジャズや映画音楽、クリスマスソングを弾き、店主の青木京子さん(67)を「毎回お客さんをすてきな音楽で包んでくれる」と感激させた。
ジャズ喫茶「アンの家」(梓川梓)では、今年3月から毎月、愛好家によるジャムセッションの手伝いをしている。参加者は「本物のジャズを知った」と喜ぶが、宮沢さんも「松本から新たな音楽人生をもらった」と感謝を深めている。
信大在学中に目覚めNYへ
「一瞬の閃(ひらめ)きを紡ぎ出すピアニスト」。東京のジャズクラブ「新宿ピットイン」の出演者パンフレットは、宮沢克郎さんをこう紹介する。渡辺貞夫さんや山下洋輔さんら多くの有名ジャズマンを育てた同店は、実力がある人にしか演奏の機会を与えない。その一人が宮沢さんだ。
松本市出身で松本県ケ丘高校、信州大教育学部で学んだ。大学在学中にジャズに目覚め、卒業後ニューヨークへ。本場のジャズに触れ、プロになる決心をした。
帰国後にトリオを結成し、都内のクラブやホテルのステージで腕を磨いた。繊細なタッチに豊富なレパートリー。作曲にも才能を発揮し、「ミヤザワ」の名は音楽界に浸透した。
円熟味を増した頃、新型コロナがまん延し、一切の公演スケジュールが消えた。自宅で独り練習していると、懐かしい声の電話がかかってきた。高校、大学と青春を共にした先輩からだった。「今度、松本の『お堀と青木カフェ』で知り合いがジャズを歌うのだけれど、ピアニストを探している。小さな会場でお客は20人程度だが、来てくれないか」
うれしい誘いだったが躊躇(ちゅうちょ)した。コロナ禍の3年間、人前で演奏しなかったので、勘が鈍っていないか心配だった。断ろうとも考えたが、「演奏したい」という心の疼(うず)きが「行きます」と返事をさせた。
自信取り戻し演奏をリード
こうして昨年5月、「青木カフェ」でピアノを弾いた。久しぶりに拍手を浴びた喜びに加え、「人前で演奏しても大丈夫」という自信を取り戻せたことが、うれしかった。今年は同市浅間温泉1のパブレストラン「赤いピアノ」でも演奏し、ファンを増やした。
宮沢さんがもたらしたのは、聴く喜びだけではない。「アンの家」ではジャムセッションのホスト役を務め、セッションを組むメンバーや曲目を決める。自分もピアノを弾き、全体をリードする。
ボーカルやコルネットで参加する井上恭男さん(65、塩尻市広丘野村)は「宮沢さんの伴奏はレールを敷いたかのように、私の歌と演奏を、探し求めていた高みへと導いてくれた」と話し、店主の宮坂直彦さん(72)は「最初はばらばらな演奏でもだんだん息が合い始め、最後は一体となる。さすが一流は違うと痛感した」と驚嘆する。
多くの称賛が寄せられても、宮沢さんは「私の方こそ松本の皆さんに刺激をいただき、感謝している」と謙虚だ。東京での活動もあり、松本との往復が続くが、「これからも松本のジャズの輪を、広く熱くすることに貢献していきたい」と意欲を見せている。