【特集・巳年に期す再生】御嶽山・田野原湿原 「神様の田んぼ」取り戻そう

かつては湿原特有の植物スゲが稲穂のような実を付けて生い茂り、その美しい様から神様の田んぼ「御田原(おたのはら)」と呼ばれた王滝村の「田の原湿原」。御嶽山(3067メートル)の王滝口登山道7合目付近(標高約2200メートル)にある日本有数の高層湿原は今、大部分が乾いて消失の危機にある。その再生プロジェクトに木曽郡内の有志らが取り組み、地道な作業を続けている。

ササを駆除 ミズゴケ守る
「応援隊」地道な取り組みで成果

昨年10月中旬の取材の際、湿原とされる一帯はササが目立つ草原のように見えた。ここで御嶽山の自然環境の保全や調査に携わる一般社団法人「ルーツオンタケ」(木曽町福島)メンバーら8人の「水苔(みずごけ)応援隊」が、湿原の乾燥により増えたササの下にわずかに残るミズゴケを守るため、ササを根元から刈り取っていた。
湿地性植物として重要なミズゴケは、1年に1ミリほど積み重なり、泥炭と呼ばれるスポンジ状の地層をつくる。ルーツオンタケは泥炭層を厚くすることで、湿原の再生を目指している。ササを1本ずつ手作業で取り除き、1日かかって進むのは1~3平方メートルほど。刈ったササはすべて搬出している。
植生を回復する作業はボランティアで、2023年7月から年5回行った。同法人理事の畠山智明さん(38、同町三岳)は「自然界の循環を取り戻すきっかけをつくり、後は自然が応えてくれるのを待ちたい。息の長い活動になる」と話す。

湿原が縮小した原因の一つとされるのが、1979(昭和54)年の噴火で、登頂できなくなった御嶽山を仰ぐために設けられた遥拝(ようはい)所への砂利道とU字溝だ。湿原そばに設けられた人工構造物により、雨が排水されて地中に浸透せず乾燥したと、考えられるという。
村も湿原の再生に乗り出し、23~24年度の工事を受託したルーツオンタケは、土中の水と空気の流れを健全にすることで、自然界全体を健康にしようという「土中環境」の理論に基づき施工した。
ポイントは、雨水を土中に浸透しやすくする仕組みづくりだ。まず、遥拝所近くの休憩所の屋根から雨水が落ちる場所の地面を掘り、穴を開けてから石や丸太、わらを敷いた。
雨が降ると泥水が砕石を押し流しながら流れる砂利道の一部を、カラマツと焼き杭(くい)を用いた石畳に。さらに登山道沿いのコンクリートのU字溝を一部外し、雨水が浸透しやすい石積みに変えた。
施工から1年。それまで砕石が流され土が見えていた箇所に植物が生えるなど、成果が表れ始めたという。石畳敷きに用いる木材は今後、村産にしたい考えだ。

よみがえらせ「世界の希望に」

ルーツオンタケは、地域おこし協力隊員やグラフィックデザイナーら木曽町に移住した4人が、20年に結成した「御嶽山再生ツアープロジェクト」が前身。土中環境の視点で御嶽山麓の古い登山道などの再整備に取り組み、王滝村から湿原再生の工事を受託するのに伴い、一般社団法人に移行した。
代表の宮坂紀久子さん(木曽町福島)は「水源の御嶽山は、下流の環境にも大切な山。湿原が再生したら、世界の希望になる。土中環境について広く知ってもらうきっかけにもなれば」と話す。
ボランティアも募集中。活動はホームページ=こちら=で発信している。

現状と課題専門家に聞く
コモンフォレストジャパン理事環境NGO「虔十の会」代表
坂田昌子さん

田の原湿原の再生に向けた現状と課題を、生物多様性条約締約国会議などに参加する一般社団法人「コモンフォレストジャパン」(東京)理事で、一昨年と昨年に田の原湿原の植生調査もした環境NGO「虔十(けんじゅう)の会」(同)代表の坂田昌子さん(64)=写真=に聞いた。

湿地には生物多様性の保全や二酸化炭素(CO2)の固定化などさまざまな役割があるが、1950年代以降に地球上の約80%が消えた。
残った20%の中でも、田の原は高層湿原(植物が枯れても分解されず泥炭となって堆積し、くぼみに雨水だけがたまり維持されている)という特殊で貴重な場所。現在は「池塘(ちとう)」と呼ぶ水たまりのような名残が、畳3畳分ほど見られるだけになってしまった。
御嶽山は信仰の対象でもあり、その風土が生み出す特有の文化や風景がある。山腹にある田の原湿原も神々しい風景から「神様の田んぼ」と呼ぶにふさわしい地域の個性だった。観光資源としても活用できるはずだ。
2年にわたる植生調査で、約50種の植物を確認。うち高山植物が36種ほどで、湿地性植物は5種ほどしかなかった。本来なら森林に生える植物が増え、樹木も高くなり、低地に生えるヨモギもあった。
高層湿原を象徴する植物はクロユリがわずかに。ミズゴケもあったが、ササに覆われ枯れつつある。高原のチョウなど昆虫もほとんど見られない。昆虫がいないと植物は受粉できず、生物多様性の循環がなくなる。
再生に向けてできるのは、ササを減らしてミズゴケを増やすことと、水を流出させないこと。観光のついでで構わないので、「水苔応援隊」の活動に参加してほしい。
一昨年にササを刈った場所に昨年クロユリが生えて驚いた。湿原の植物は消えたように見えても、実は生えたくて地中で待っているのかもしれない。
身近な湿原にも目を向け、関心を持ってほしい。環境省も数年前から湿原の再生を提唱している。湿原はさまざまな生物を増やし、地域に特有の風景もつくる。自分たちが何を失いつつあるか、考えてみることが大切だ。