【特集・未来を描く】デフリンピック水泳金目標の22歳 中東 郁葉(松本市出身)地元の期待も背負い

今年11月に日本で初めて、東京で開かれる聴覚障がい者のオリンピック「デフリンピック」。松本市出身のデフスイマー中東郁葉(22)にとって最大の目標だ。15歳から日の丸を付けて泳ぎ、現在はオーストラリアを拠点に競技しているが、「長野県の代表という意識もある」といい、地元の期待も背負って金メダルを目指す。
一昨年の世界デフ水泳選手権(8月、アルゼンチン)背泳ぎ2種目で銅メダルを獲得した中東は昨年、大きな決断をした。大学卒業後、不動産会社のサムティ(大阪)にアスリート社員として所属。出社は月に1度の活動報告くらいで、普段は松本で「泳ぐのが仕事」という環境に。
さらに8月、オーストラリアに渡った。きっかけは1年前の日本代表のメルボルン合宿。現地の日本人女性コーチの指導が新鮮で、プールなどの環境にも引かれた。
練習拠点を移すためにホームステイ先を自分で探し、会社の了承も取り付けた。親は「今しかできないなら行った方がいい」と後押ししてくれた。「小さい頃からそう。いつも、郁葉がやりたいことをやりなさいって言ってくれる」とほほ笑む。
生まれた時から聴覚障がいがある。小学生で本格的に泳ぎ始めたが、ずっと健常者の大会に出ていて「楽しかった」。だから障がい者大会への出場を打診されても、気が進まなかった。「耳が聞こえないのを認めたくなかった。特別扱いされるのも嫌だった」という。今も補聴器を着ければ会話に支障はない。
だが、スイミングスクールの会長の勧めに応じて出場してみると、気持ちが変わった。中学2年の時に出た関東や全国の大会で多くのデフスイマーと交流し、「(選手層が薄い)長野県では分かり合える人がなかなかいなかったが、安心できた。手話でコミュニケーションする楽しさも感じた」という。
記録も伸びた。高校1年だった2017年、トルコでのデフリンピックに初出場し、200メートル背泳ぎで6位に入った。以来、この種目をメインに国際大会で上位を続ける。

「今は練習に一番集中できる環境。やっと水泳が楽しいと思えている」という。今まで気付けなかったフォームの悪癖をコーチに指摘され、直すと速くなった。平泳ぎも向いていると言われて練習すると、得意の背泳ぎも安定してきた。
「泳ぐことが好き。簡単にはやめられない」。5、6月に予定される東京デフリンピックの国内選考会と、その先の本番へ泳ぎ続ける。

なかひがし・いくは
2002年生まれ。源池小─清水中─松商学園高─東海学園大。23年世界デフ水泳選手権100メートル背泳ぎ(1分11秒39)、200メートル背泳ぎ(2分31秒70)でともに3位。デフリンピックは17年、22年と連続出場。個人種目の長水路は1500メートル自由形、短水路は25メートルと50メートル背泳ぎ、800メートルと1500メートル自由形のデフ日本記録保持者。

デフリンピック
聴覚障がいのあるアスリートが参加する国際総合大会で夏季、冬季大会とも4年ごとに開催。水泳を行う夏季大会の1回目は1924年パリ大会で、東京大会が25回目(24回ブラジル大会はコロナ禍で1年延期され22年に開催)。デフ(deaf)は英語で「耳が聞こえない」という意味。パラリンピックにデフ競技はない。