「銭湯文化」守る心意気で営業中 開業101年 松本の「桜の湯」

「また来るね」言葉励みに

清潔な生活を送るためだけでなく、住民同士、コミュニケーションを図る場でもあった公衆浴場。家庭風呂の普及で利用者が減少、光熱費の高騰など逆風も吹いているが、「桜の湯」(松本市女鳥羽1)は昨年、開業100年を迎えた。
店主の山口敬雄さん(78)は3代目。妻のひろ子さんと2人で切り盛りする。清掃、ボイラーの管理など、営業時間以外の仕事も多い。休日は、毎週の定休日の他は元日だけと忙しい1年を過ごす。
1970年代のオイルショック、パイプの老朽化による改修といった苦労はあったが、「いいお湯でした」「温まる」「また来るね」といった言葉が励みになるという。日本独特の銭湯文化をなくさない。そんな心意気で、頑張っている。

大正時代に創業旧町名から店名

午前9時ごろ、脱衣所の掃除から桜の湯の一日はスタートする。ボイラーに火を付けるといった開店準備、午後3時からの営業中は必ず1人が番台に座る。10時の閉店後は、浴室の掃除。その日のうちに終えないと、汚れが固まり落ちにくくなるため、山口敬雄さん、ひろ子さんの2人で1時間以上かけて行う。デッキブラシでは細かい部分が洗えないので、今でもたわしだ。
1924(大正13)年、敬雄さんの父の七(しち)郎平(ろうへい)さんが、現在地に創業。旧町名、桜町から「桜の湯」と名付けた。それ以前は庄内町で兄と2人、和菓子店を営んでいた。いとこが天神で「桐の湯」を営業していたのが刺激となり、周辺に銭湯がなかった桜町で始めてみたという。
最初はおがくずを中心に、まきや木の根をおので小さくしたものを燃やしていた。戦争中はまきがなく石炭を使った。七郎平さんが召集され、敬雄さんの母、藤江さんが孤軍奮闘した時期もあったという。七郎平さんが65(昭和40)年に亡くなり、67年、敬雄さんが21歳で東京から戻った。
昭和30~40年代は銭湯ブーム。新築の湯が次々できた。桜の湯も、老朽化していた施設を68年に新築。重油ボイラーに替え、浴室を広くし、からんの数を倍以上にした。個々にシャワーを付けるなど一気に近代化させた。

「地域の居場所」根強いファンも

施設前の県道拡幅で脱衣所がなくなったり、水道管が古くなったり。73年のオイルショックでは重油の値段が跳ね上がったが、ロッカーを導入し省スペースを実現する、燃料をプロパンガスに、さらに都市ガスに変えるといった工夫で乗り越えてきた。タイルをはがしての水道管の入れ替え工事では、風呂の位置を変えて大きくした。
高度経済成長に伴い、家庭風呂が普及。郊外に家を建て中心市街地から引っ越す家族も増え、銭湯を訪れる人が減った。松本市内に40軒余あった銭湯も8軒に減ったが、浴槽が大きくゆったり入れる、湯をふんだんに使えるなど魅力は大きい。
地下50メートルからくみ上げる水を利用しているといい、「湯質がいい」「温まる」と話す根強いファンもいる。車社会に合わせ、駐車場を用意したことも来やすさにつながっている。利用者の8割は高齢者といい、情報交換したり、近況を報告したりと、楽しみの場でもある。
冬場の光熱費は月50万~60万円かかる、配管など修理の時期にきている、といった困難も抱える。後継者の心配もあるが、開店前に並ぶ人、タクシーで来る人など、心と体を温める、なくてはならない存在だ。裸の付き合いができる、地域の居場所でもある銭湯。「自分の目の黒いうちは閉めないよ」。敬雄さんの思いだ。

【メモ】
桜の湯 午後3~10時。金曜定休。大人(中学生以上)500円、中人(小学生)170円、6歳未満80円。TEL0263・32・4256