
整頓された小さな作業場でゆっくりと足踏みミシンを動かす。オーダースーツからネーム刺しゅう、ズボンの丈直しまで、ここで仕上げた洋服はどれほどになるだろう。松本市鎌田2の筒井慶吉(けいきち)さん(93)は、筒井洋服店を営み約70年。今も洋服のリフォームなどを受ける現役だ。仕事は手際良く正確で、客の信頼も厚い。創業時はまだ着物が多かった昭和初期。家庭用ミシンが普及し始め、「これからは洋服の時代になる」と、親戚の洋服店に技術を覚えに行った。洋服を仕立てる時代から既製品の大量流通へと変わったが、「真面目に仕事をやる」信念を貫いてきた。「気楽な気持ちでまだ続けるよ」と筒井さん。創業以来使い続けるミシンを操る手に、狂いはない。
リフォーム主に丁寧な仕事ぶり
松本市の鎌田中学校近く。道路に面した民家の1階が筒井慶吉さんの店だ。掃除の行き届いた玄関や作業場は、仕事場を美しく整える職人らしさを感じさせる。
洋服のリフォームが主な仕事で、1カ月に15件ほど。常連だけでなく看板を見て初来店する客も多い。
今の時季は、正月明けできつくなったズボンの腰回りを直す注文が多いという。「お客さんが気に入らない所を気に入るように直せば喜んでもらえる。それがやりがい」と筒井さん。ミリ単位のまつり縫いもできる視力と手先も健在だ。
1月初旬、パッチワーク柄のスキーウエアの模様を同じウエアの生地で入れ替えてほしい|という初の依頼を受けた。気密性が高く防水仕様の硬い生地をほどき、組み、縫い合わせる難しい作業で、試行錯誤し完成させた。
依頼した会社役員男性(57、松本市)は、既に数店を回ったが受けてもらえなかったといい「手間のかかる縫製を完璧に仕上げてくれた」と感謝。年齢を聞いて驚いたという。
朝日村で7人きょうだいの5番目に生まれた。中学校を卒業し家の農業を手伝ったが、「手に職をつけたほうがいい」と両親に言われ、松本市で洋服店を営んでいた親戚の家で修業。東京で5年間働いた後、松本へ戻り25歳の頃、独立した。
妻・秀子さん(故人)と結婚し、洋服店を切り盛り。布の裁断から仕立てなど洋服は慶吉さんが、ネーム刺しゅうは秀子さんが担当した。大手などの下請け仕事は受けなかったが、顧客を大切にし続けることで経営に影響はなかったという。
私生活も充実した。近くに西部公民館(現・鎌田地区公民館)が開館したのを機に、公民館活動に参加。毎週、秀子さんと社交ダンスを習った。また、仲間でマジック研究会を発足し会長に。出張公演なども精力的に取り組んだ。ダンスはやめたがマジックは今も月に1回、仲間と集まり交流。サッカーJ3松本山雅FCのサポーターで、今もホームゲームは応援に行く。
さらに、2002年からワープロ入力で「1行日記」を続ける。淡々とつづる毎日と年間のビッグニュースなど、その時々が瞬時に思い出せて重宝しているという。「考えると頭を使い、手先も動かすから元気でいられる。持病も痛い所もなく幸せ」
“足踏みミシン”が仕事の相棒
今は娘家族が安曇野市豊科で暮らし、筒井さんは店舗兼自宅で1人暮らし。健康長寿の秘訣(ひけつ)を聞くと「長年、明るいことだけ考えて、明るいことだけ話す。それを心がけてきた」と筒井さん。
それでも、20年暮れに心筋梗塞により88歳で突然亡くなってしまった秀子さんを思うと、不意に涙がこぼれる。「二人で一生懸命働いて、ご飯を食べてきた。優しい妻だったな」
仕事の相棒は創業以来、使い続ける足踏みミシン。以前は他のミシンも使ってみたが「足踏みは力があるし細かい調整も利く。厚手の布も縫えて、やっぱりこれが一番」と愛着を込める。「これからも余裕を持ちながらやっていくよ」と満面の笑みを見せた。