
看板や席札、式次第、表彰状など、依頼に応じた文字を毛筆で記す「筆耕(ひっこう)士」。筆文字の「職人」だ。大町市大町の武居珪湖(けいこ)(本名・美惠子)さん(76)は、筆耕歴50年近いベテラン。長年職業として筆を運ぶ一方で、現在は書家として自らの創作の幅も広げている。「筆文字の美」「心に響く書」を追い求め続ける人生だ。
大町市出身の珪湖さん。小学2年生で書道を習い始めて以来、真剣に学び続けた。24歳の時、同市出身の夫・英文さん(75)の仕事の都合で上京。親しくしていた女性が自宅で和裁の仕事に励んでいた姿に刺激され、「自分も手に職をつけたい」と思った。
長男が幼稚園に入るタイミングで、得意な毛筆を生かせる仕事をと考えた。相談を受けた英文さんが、仕事の合間に妻の筆文字を持って大手のホテルに直接「営業」をした。
これを突破口に書の師につき、筆耕の大前提である癖がなく、読みやすく美しい文字を学んだ。時代は、ワープロやパソコンの普及前夜。フリーランスの筆耕士となり、ホテルや百貨店などからの仕事が続々と舞い込み、自宅で夜中まで筆を走らせた。
大きなパーティーの招待状は1日100枚書いたことも。宛名は1通ずつ異なり、長短もある。作業スピードを出しながら、バランスよく仕上げ、書き損じをしてはいけないというプレッシャーとも戦った。
東京・銀座の貴金属店で働いたことも。時計や宝飾品といった高級な商品の裏や箱へ、贈り主の名前などを即座に書き入れる緊張の伴う業務も経験。職人としての腕を磨いた。
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家庭の事情で40代前半で大町市へ戻った。時代の流れなどとともに、「商品」としての文字の需要は明らかに減少。それでも、手書きの筆文字に価値を感じる人からの依頼は、令和の今もなくなることはない。誕生間もない赤ちゃんの命名書を、若い夫婦から頼まれることもある。「時代が進んでも若い方が、筆文字の良さを認めてくださることがうれしい」
珪湖さんの一日は、早朝、和紙に古典文学の一節をしたためることから始まる。「筆耕をいつ頼まれてもいいように」と、欠かさない日課だ。和裁士だった母の姿を思い浮かべ、「職人気質は似ているのかも」と笑う。
モルゲンロートや燃えるような夕焼け、北アルプスの大パノラマ。自宅から当たり前に見える景色に心が満たされる。帰郷後、仕事とは別に、自由な書の作品制作も楽しむようになった。国内の他、米ニューヨークやオーストリアなどでも作品を展示。現地の人に実演や体験を交えて日本の書を紹介、親しんでもらう取り組みもしている。
引き受けた仕事の文字レイアウトや作品展示の交渉などは英文さんが担当。いつでも近くで支えてくれる存在といい、「主人がいなければできなかった」と感謝する。
「美しいものを書きたい」。職人と書家の二つの顔、その切り替えも楽しみながら、日々自然体で筆を握る。