青春の記憶スキー板の数だけ―木製の思い出詰まった昭和の製品今も大切に

松本市両島のすし店「すし金」の店主、秋山泰則さん(86)は、昭和時代のスキー板約20台を今でも大切に保管している。中には小学生の頃に、今は亡き母から買ってもらった木製のスキー板も。30代までは冬になると山にこもって「スキーざんまい」の日々を送るなど、魅力にどっぷりとはまった秋山さん。その青春の証しだ。
秋山さんが1950(昭和25)年ごろ、生まれて初めて手にしたという木製スキー板。長さは約2メートルもあり、現代のスキー板には欠かせない、操作するうえで重要な役割を果たす「エッジ」は付いていない。
中央部分に、メーカー名と思われる「VICTORY NAGANO JAPAN」の文字が刻まれている。
手にしてから70年以上たち、テール部分は朽ちかけ、板と靴を固定する「ビンディング」もさび付いている。
上川手村(現在の安曇野市豊科田沢、豊科光・明科光辺り)の上川手小学校5年か6年生だった頃、秋山さんの母親が「格好良いスポーツだからやってみろ」と、「米2斗」と交換して買ってくれたのがこのスキー板だ。
「当時は相当、高価なものだったと思う。スキーをやっている子どもなんか誰もおらず、冷やかされた」と振り返り、「こんなに長くて、エッジもないスキーでよく滑ったものだ」と、懐かしむ。
しかし、このスキー板のおかげで、その楽しさに取りつかれた秋山さん。大人になって就いた仕事は「スキーがしたいから」と、林業関係。雪山シーズンになると、スキーを背負って、涸沢カールや乗鞍岳の大雪原で滑りまくった。
両側が高い雪壁になった道に停車していたバスの上を、スキーで飛び越えるといった「無謀な遊び」もしたという。
スキー板も「憧れだった」というオーストリアのブランド「クナイスル」や国産の「オガサカ」など、「そのシーズンごとのいい板」を求めて、30代になる頃までは買い足した。
そして昭和40年代の初め、妻・常子さん(80)と結婚。式は、美ケ原高原のホテル山本小屋が当時運営していたスキー場で挙行。ゲレンデの上で「誓いの言葉」を交わしてから、二人で滑走。ゲレンデの下で待つ招待客の中に飛び込んだという。
まさに、秋山さんの青春時代の真ん中にあったスキー。現在、自身は滑っていないが、その魅力は息子から、孫へと伝わっているという。
「動力なしで、時速何十キロのスピードを体感できるのがいい」と秋山さん。「若い頃の、あふれるエネルギーを全て燃焼してくれた」と、笑顔を見せた。