新潟の老舗菓子店移転・再出発し半年 安曇野市三郷「本丸池田屋」

地域に根ざし新しい価値創造

厚さ3ミリの極薄ようかん、安曇野産の果物を包んだフルーツ大福、小豆とカカオ豆で作る「ショコラ羊羹(ようかん)」、熊の形のもなかが浮かぶお汁粉…。
独創的な商品を次々と出す、ようかん専門店が安曇野市三郷温にある。昨年8月、HAMAフラワーパーク安曇野にオープンした「本丸池田屋」だ。
新潟県小千谷市で128年間、地元に根ざして商売してきた老舗。6代目社長の本田啓邦(ひろくに)さん(42)が子育てのために昨年春、妻の実家に近い三郷温へ移住し、縁あって新天地で店を再開することになった。
老舗が新天地で商い。さぞ不安が大きかっただろうと思いきや、「むしろ老舗だから臆せず挑戦できるんです」と意外な言葉。その真意は─。

豆から炊くあん独創的な商品も

本丸池田屋は工場を店舗に併設。機械や道具を新潟から移し、それまでと変わらぬ菓子作りをしている。
最大の特徴は、あんを、豆を炊く段階から作ること。製あん所から仕入れず、あえて自らの手を動かすのは、豆を炊く技術こそが最大の武器であり、土台だからだ。
「豆から炊くので味を自由に変えられる」と社長の本田啓邦さん。創業者の名前を冠した「助七やうかん」のあんは、本田さんが1時間半、木製のへらで練り続ける。
「時間をかけて積み上げてきた技術や知恵を武器に、時代の先を行く菓子を作るから、今を生き抜ける。それをずっと続けてきた結果が『老舗』」と力を込める。
代表例が、厚さ3ミリのようかん「ぽちここる」(250円)。パッケージの下部を押すとようかんがにゅるっと出てくる。平べったいようかんを口に含むと、新食感の楽しさと風味が、口いっぱいに広がる。食べやすさや持ち運びやすさも支持され、「店を広く知ってもらうための勝負商品」と本田さんは言う。

子育てのために妻の古里近くへ

本丸池田屋は3代目以降、本田さんの伯父の家系がつないできた。経営が厳しくなった頃、当時26歳だった本田さんに、店の存続が託された。
マグロ解体職人だった本田さんは、和菓子の知識も経営の経験もなかった。だが、「店は父の実家。続けることが父への恩返しになる」と引き受けた。教師だった父親は、学生結婚した本田さんの良き理解者だった。
地元青年会議所に入った縁で知己を得た。東京の「とらや」など名だたる店の経営者らに教えを請いながら、「伝統を磨き上げた」という。客の声に耳を傾けながら多方面で改良を続け、店を立て直した。
私生活では、現在8~22歳になる5人の子宝に恵まれた。第3子が生まれた頃からは、妻の麻里さん(42)も店で働いた。だが、育児の負担が大きいため健康などに配慮し、麻里さんの古里、松本の近辺への移住を決断。小中学生の子ども3人を伴い、麻里さんの実家からほど近い三郷地区へ引っ越すことにした。
移住先で店を出すのか、新たな職を探すのか。悩んでいた昨年2月、ようかんの材料「寒天」の取引先、伊那食品工業(伊那市)へあいさつに行くと、社長から「(子会社のハマ園芸が運営する)HAMAフラワーパーク安曇野に空き店舗がある」と思わぬ提案。本田さんは「これも縁」と出店を即決した。

安曇野に来てからは「この地にどんな菓子があれば楽しくなるか」を想像する日々だ。イチゴやシャインマスカットなど果物を白あんで包んだフルーツ大福は、安曇野で生まれた新商品だ。
「“安曇野のお土産”を作りたいと思っている」と本田さん。「新しい価値の創造を目指すことで、地域も店も働き手も、豊かになると思うんです」と破顔した。
午前10時~午後5時。水曜定休。℡0263・87・1826