
誇りと感謝 漆器に向き合う
塩尻市木曽平沢の漆器職人・宮原健一さん(73)はこの道55年。器作りのほか、家具など身近な漆の塗り直しにも力を入れ、木曽漆器工業協同組合の組合員でつくる文化財修復チームにも所属する。
職人が一つ一つ手をかけてきた品や文化財は、修理や塗り直しによって末永く使うことができる。そんな伝統技術を手がけていることが、宮原さんの誇りでもある。
代々続く漆器店が生家の宮原さん。18歳から家業を手伝った後、50歳で独立し「漆工房宮原」を構えた。これまで1人で製作してきたが、数年前から妻の光江さん(75)も蒔(まき)絵(え)に取り組み始めた。
「愛着を持って使ってもらうことが職人の喜び」。光江さんとの二人三脚で、新たな歩みも始まっている。

職人として55年文化財の修復も
漆器店が連なる木曽平沢の本通りを過ぎ、高台の一角に宮原健一さんの「漆工房宮原」がある。工房の中でひときわ目を引くのが、風格のある和だんす。数カ月前に修理が完成した。漆器の技法である「麻布目根来(ねごろ)塗り」を家具に用いたという。麻布を漆で塗り固めた乾漆の技と、朱塗りなどの根来塗りを組み合わせた技法だ。
以前は白木調で簡単な塗装だけ施した、古いたんすだった。「漆を塗ってみたい」と依頼を受け、仕上がりを客と相談。既存の金具を外し、木地のゆがみを調整し、何度もの塗りや乾燥、研ぎを経て、見違える姿になった。
「思い出が詰まった物を直して喜んでもらった時が一番、うれしい」と宮原さん。古いたんすを見ると、それを使ってきた家族の姿が目に浮かぶという。
伝統工芸士で1級技能士の宮原さん。江戸時代から続く家業に入り、30年ほど働いた。漆器の需要が落ち込んだ二十数年前、他県で文化財の修復を手がけている会社から仕事を紹介されたのを機に、兄の下から独立した。
所属する木曽漆器工業協同組合の文化財修復チームでは現在、国重要文化財に指定されている神社の、建具(扉)の漆塗り修復作業に取り組む。名古屋城の本丸御殿内装(2018年完成)や、松本市立博物館で展示している市重要有形民俗文化財「初市の宝船」修復などの、チームリーダーとして活躍した。

夫が作った漆器妻の蒔絵添えて
職人の健一さんを支えてきた光江さん。会社勤めをしていたが5年前、70歳を機に退職。以前から漆器が好きで、蒔絵を習いたい─と、塩尻市木曽高等漆芸学院(木曽平沢)に通い始めた。
もともと絵を描くことが好きだったという。日常で描くスケッチを見て健一さんは「植物や鳥などがきれいに描けていて、絵の才能がありそう」と感じていたという。
「好きなことを始められたので、夢中です」と光江さん。身近な植物をモチーフに、2年ほど前から健一さんが作った弁当箱やつえに蒔絵を施し、「木曽くらしの工芸館」で販売し始めた。
蒔絵に一目ぼれして弁当箱を購入したという本木厚子さん(同市広丘吉田)。使用中に落として縁(ふち)が欠けてしまい、修理を依頼。「『もう駄目かな』と思ったけれど、とてもきれいに直してくれた。これからも安心して長く使えそう。世界に一つの弁当箱として大切にしたい」と感謝する。
職人として55年が過ぎ、「好きで始めた仕事。景気の良しあしはあったが充実していた」と語る健一さん。光江さんの蒔絵が添えられることで「漆器の趣が変わるのでありがたい。今まで以上に丁寧に作りたい」と笑顔だ。
修理も蒔絵も数多くはできないが、「漆芸学院で学んだ事を生かしていきたい」と光江さん。健一さんは「これからも手に取ってくれた人が最大限に喜んでくれるよう、漆器に向き合っていきたい」と話す。