フォークユニット「ぱぴるす」片山有治さん 思い出の地松本で音楽と向き合って

触れ合いと出会い何よりの喜び

諦めた音大への道。しかし音楽から離れたことはなかった。信州大で青春時代を過ごした思い出の地・松本市に移り住み、片山有治さん(62)は改めて、音楽と正面から向き合っている。
活動の中心はフォークユニット「ぱぴるす」。元「わさびーず21」メンバーのシンガー・ソングライター中村雅彦さん(73)がギターとボーカル、片山さんがフルートとボーカル、妻の片山美和さんがバイオリンを担当、各地でライブ活動を行っている。自分で作曲する機会も増えてきた。
東京で長く会社員と音楽活動の二足のわらじを続けてきたが、退職を機に音楽に専念できる環境を探して松本に。「いろいろなタイミングが重なり、再びこの地で暮らすことになった」と語る。

妻と共に移住し音楽活動に専念

フォークユニット「ぱぴるす」は、松本、安曇野市を中心に、数多くのライブを行っている。直近では2月15日昼に安曇野市穂高公民館の「早春アンサンブルコンサート」、夜に松本市のパブ「ブルドック」で演奏。16日は安曇野市の焼肉居酒屋「路ろーど」でランチコンサートに出演。オリジナル曲、唱歌、歌謡曲と幅広いレパートリーを披露する。
昨年10月にはJR大糸線の車内でライブ演奏した。「揺れるのでフルートが口から離れてしまい、大変だった」。片山有治さんは笑って振り返る。

片山さんは東京都出身。父親がバイオリニストで、3歳からバイオリンを学んだ。親から「やらされている」という思いもあり、小学4年でフルートに転向した。
高校時代まで音楽家を目指すが、「食べていけるだろうか」と真剣に考え、音楽大学を断念。志望を変更し、信州大人文学部(松本市)に進んだ。
「信大に入って本当に良かったと思っている。いろいろな人と出会えた」。スナックのアルバイトで客とカラオケを歌い、司会もしたことは、社会人としての修業になった。
1年休学し、中国や東南アジアを旅したことも、大きな財産になった。小さなリュックサック一つで雲南省やチベット自治区、新疆ウイグル自治区などの奥地まで訪ねた。片言の中国語しか話せずお金のない学生を、助けてくれる人が各地にいた。「世界の広さを体感できた。旅が自分の人生の柱になった」。後に信大や他大学から講師として招かれ、旅と音楽をテーマに講義もした。
卒業後は外資系金融機関に就職。営業や企画開発、コールセンター運営など広く経験を積んだ。
1994年、勧められカラオケ全国大会に長野県から出場。県、北信越大会で優勝し、審査員をしていたフォークグループ「わさびーず21」の堀六平さんと知り合った。98年の長野冬季五輪に向け、公式推薦曲「白い大地から」を歌う全国ツアーに誘われた。
会社に理由を話し、辞めたい意向を伝えると、休職扱いにしてくれた。97年の全国ツアーに参加、五輪中は白馬村に滞在しイベントなどで歌った。
その後も働きながら音楽活動を継続。99年結成のぱぴるすには、妻のバイオリニスト美和さんと共に参加した。長野県でのライブには、夫婦で東京から駆け付けた。
2019年、会社を早期退職。音楽活動に専念することに決めた。音楽ができる静かな環境を探していた。
「首都圏を中心に考えていたが、慣れ親しんだ松本にも目を向けると、良い環境の良い物件があった」。業者と話をするととんとん拍子でまとまり、23年秋に夫婦で松本市に移住した。
「親の介護を終えるなど、いろいろなタイミングが重なった」。24年は1年間で約30日ライブをこなした。東日本大震災で被災した福島県浪江町にも、縁あって演奏に行く。
子どもの頃思い描いたクラシック専門の音楽家とは、少し違う。だが、「小さな会場で音楽を通じて触れ合い、人との出会いが広がる。それが何よりの喜びになっている」という。

「ぱぴるす」の演奏予定
松本市で「信州食堂若大将」を営む藤井國廣さんを中心とするコンサート「絆(きずな)歌(うた)」に出演。片山さん作曲の「あなたのもとに」が初演される。3月9日午後1時半、安曇野市の市穂高交流学習センター「みらい」。入場料3500円。問い合わせは諏訪貴士事務所℡0263・27・1571