
豊富な経験と強力なリーダーシップでゲームキャプテンや主将を務め、2018年の山雅のJ2優勝・J1昇格にも貢献、昨季限りで現役を引退した橋内優也さん(37)が月1回、今の思いをファン・サポーターに伝える。
昨季限りで引退し、クラブの新しい役職「アカデミーロールモデルコーチ」になった。U─18(18歳以下)からU─10まで、ユースアカデミー(選手育成組織)の全てのカテゴリーを回っている。加えてレディースも。いろんな指導者や子どもたちに会って学んでいる。
例えば、あるカテゴリーの監督と密にやりとりすると、日々のトレーニングメニューや1週間の流れを作っているところから見られる。選手の立場とは理解度が違い、指導者の意図が分かる。こんなにぜいたくな環境はないと思う。
指導者にずっと興味があったが、何とか20年はプレーしたいと思っていた。去年の12月7日、昇格プレーオフ決勝までは、現役をやめるなんて1ミリも考えていなかった。
山雅がJ3に降格してからはJ2、J1に戻れるように日々を過ごしていた。リーグ戦の出場機会は限られたが、僕がピッチに立てばチームを勝たせられると思っていたし、実際にいい結果をもたらせていたと思う。
それが、あの日は自分が出て、自分の目の前でシュートされて、昇格を逃した。期待に応えられると思っていたのに、応えられなかった。「もうダメだ」と、悔しさより虚無感や喪失感が大きかった。
クラブから契約延長の話をもらったが、ファン・サポーターの皆さんに「また応援してください」と簡単には言えない。ただ、山雅に対する思いは深く、クラブのために頑張りたいとも思っていた。
引退を決断した後、今の仕事の話をもらった。クラブのために若い選手を指導し、トップチームで活躍できる選手を育てたいと思うと、座り込んだメンタルが「よいしょ」と立ち上がった。次の役目として、指導者になることが動力になった。
プロとして19年プレーできたが、振り返ると中学、高校で人間形成を大事にする先生、監督に出会ったのが大きい。だから、僕も子どもたちに謙虚な心、感謝の気持ち、向上心を植え付けてあげたいと思う。山雅が大事にしている「最後まで諦めない」「さぼらない」は、一般の社会でも大事なことだ。
僕は全ての人から学びたいと思っているし、例えば小学生が相手でも、関わり方の経験になる。いろんな現場で吸収して自分のものにしたい。一番の目標はJリーグの監督になること。中でも山雅の監督ができればいい。クラブからオファーをもらえるような指導者になりたい。
<次回は4月17日付に掲載予定>
【プロフィル】はしうち・ゆうや 1987年、滋賀県生まれ。栗東西中(滋賀)、東海大五高(現・東海大福岡高)を経て2006年、J1サンフレッチェ広島でプロデビュー。ガイナーレ鳥取、徳島ヴォルティスでもプレーし、17年に山雅へ。175センチとDFとして上背はないが、相手との駆け引きや的確な状況判断で守備を統率した。プロ19季でJリーグ戦320試合に出場し10得点。このうち山雅で8季プレーし、リーグ戦192試合に出場し2得点。